ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

ゴルフ人生で、触れ合いすれ違った人達の、忘れられぬ想いを描き残しておきます。

img_0-36

彼の世話を唯一している彼の姉から「もう判らなくなっているみたいです」と聞いていた。
「何を話してもあまり反応が無く、惚けてしまって自分が何をしているのか判らなくなっている」、と。
おむつをして、食事も介護の人任せだと...


その日の朝、彼のお姉さんを途中で乗せて、借りていたレンタカーで病院に向かった。
どんな状態の彼と会えるのかは、想像するだけで気が重く暗い気持ちになっていた。
かって、颯爽と100メートルを11秒で走り、高校野球のスターであり、ハンサムでデザイン学校の教師や会社を経営していた男...それが何も判らなくなった惚け老人となっている姿は、正直見たくはなかった。
もし会っても判らなくなっていれば、会いに来るのはこれが最後と決めていた。

面会室に入ると、看護士に支えられて...痩せて小さく乾涸びたような姿になって、彼が椅子に座っていた。
姉さんが彼の横に座り、私達夫婦は正面に座った。
顔を変に歪ませてあらぬ方向を見ていた彼に「お友達がまた面会に来てくれたわよ」と姉さんが言う。
「T!  オレが判るか?」
こちらを向いた...途端に顔をくしゃくしゃに歪ませて、声を上げずに泣き出した。
「わかるのか?」
ただ何度も何度も頷く...
何故だか声は一言も出さずに、ただ表情が笑い顔だか泣き顔だか判らない形に変わる...あげくの果てに引きつった様な形で片目だけ開けて止まってしまった。
「Tさん、その顔じゃおかしいよ」とうちの奥さんが言う。
慌てて普通の顔に戻そうとするが、すぐにシワだらけの顔でくしゃくしゃになってしまう。

彼の方から会話を切り出す事は無かった。
しかし、こちらの言う事は全て判っているようだった。
うちの奥さんが昔の笑い話のような出来事を話しだすと、ヤツも思い出して声もたてずに涙を流して笑っていた。

「3年前に来た時、帰り際にお前は「リハビリして今度はオレが東京に行く」と言ってたのを覚えているか?」
そう聞くとはっきりと頷いた。
「ちゃんとリハビリしているのか?」
そう問いかけた時に、やっと小さくゆっくりだが言葉を話した。
「指、全部、動かせるように、なった...」
(今回彼が声を出して話したのはこれだけだった。)

椅子に座っている事がかなり体力を消耗するらしく、長い時間の面会は出来なかったが...思ったよりは遥かに状態はマシだった。
惚けてはいない...ただ介護施設ではなくて病院に入院と言う形なので、なるべく危険や面倒から遠ざける事が第一になってしまい、日々の刺激が少なくなり過ぎた結果、反応が少なくなっていたんだと思う。
近いうちに介護施設への入所が決まったと言う事で、これからはもう少し色々な事が出来る様になるんじゃないか、と言う話を聞いた。
30分程で「疲れ切ってしまった」、と言う状態になったので彼は看護士に抱えられて、部屋を出て行った。
...最後に少し振り向いて、表情を歪ませた。


ゴルフをする様になる事は、正直絶対無理だろう。
「あなたに送ってもらった道具は、まだ奇麗なまま押し入れに置いてあるのに」と姉さんが言う。
そして、彼の子どもや知人が見舞いに来ないのは、彼の金銭問題にあると言う事を初めて聞いた。
大阪で会社をやって潰した時に、莫大な金額の連帯保証人になっていたとか。
私に金を貸してくれと言った事は無かったが(うちに金が無い事を知っていたからかも)、色々な知り合いから金を借りていた、と言う事も初めて聞いた。


....お前は本当に問題のある男だったんだなあ。
オレにお前を助ける事は出来ないが、いつか一緒にフェアウェイを悪態をつきながら、笑いながらラウンドする事は「やがてジジーになった人生」の楽しみだったんだぞ。

奇跡は、お前が起こせ...オレはそれを待っている。

少しでも状態が良くなれば、必ず俺はまた行くから。 

img_0-34

鹿児島出身のこの男とは、19歳であるデザイン学校で出会った。
まともに絵を描いた事もないし、石膏デッサンすらやった事のない自分が、まさにこれからの人生を絵に賭けると決心した時に同じ場所に居た。
180センチ近い長身と、100メートルを11秒前後で走る俊速と、ハンサムで明るい男は確かに女性にモテていた。
気が合ったヤツと俺は野球チームを作り、私が投げてヤツが捕ると言う形で、軟式野球の東京都ベスト3とか言うチームに勝ったりしたこともあった。
ヤツはやがて大阪でデザイン学校の教師の職につき、可愛い小さな千葉の娘と遠距離恋愛のあと、20代前半で結婚した。

やがて長女、次女、長男と3人の子供を持ち、社員を何人も使う写植会社を興し、ダイエーの仕事を多く引き受ける様になって羽振りも良くなり、会社も大きくなった。
この頃のヤツは、仕事も家庭も本当に順風満帆に見えた。

が、その頃からパソコンが普及し始め、その性能が飛躍的に良くなるにつれ「写植」という「仕事」が消滅して行った。
ヤツは懸命に頑張ったが、この時代の流れを変える事は全く出来なかった。

東京と大阪と言う事であまり頻繁に会う事も無く、俺にどうこう出来る問題ではなかったのでその辺の事情は当時は全く判らなかったが...ぽつんぽつんと聞こえて来る噂で、会社が傾き、経営を追われ...やがて離婚、長女は彼に、あとの二人は奥さん側に着いて家族離散とか...

そして、長女は結婚し、彼一人母親の介護もあって鹿児島に帰った。
やがて時が流れて、母親は亡くなり...ヤツ一人が鹿児島の生家に住んでいる事は、その頃から頻繁に来るようになったケータイの会話で聞いていた。
ヤツは、そこでバイト生活をしながら、マスターズの野球をやったりして悠々自適の生活をしていると言っていたが...
ある日、「みんながゴルフをやっていて、今度コンペをやるって言うのでオレもゴルフを始めようと思うんだ」
「それでオレにはよくわからないから、お前の持っているクラブで使ってないものをくれないか?」
「やっとゴルフをやる気になったか」
と言う事で、当時一番ヤツに合うと思ったクラブと、キャディーバッグにボールや小物一通りを入れて、まとめて送った。

「ただな、ゴルフはそんなに甘くはないから、最初は絶対に近くの練習場に行ってレッスンプロに基本を教えてもらえよ。」
「運動神経を過信して自己流でやると、野球をやっていたヤツは悪いクセがついて、必ずしんどい目に遭うからな」
そう念を押した。

が、ヤツは一回だけそのコンペに出たあと、二度とゴルフをやるとは言わなくなった。
電話では何回も勧めたし、「いつかお前と一緒に九州のコースを回りたいんだから、時間をかけてゆっくりゴルフに馴染むようにしろよ」とも言った。

が...ヤツが倒れる前に一度鹿児島に行った時にも、「一緒に練習に行ってやるから、今から行こうぜ」って言ったのに腰を上げなかった...クラブは奇麗なまま押し入れに入ってはいたけど。

そして、ヤツは朝から晩迄焼酎を飲んで酔っぱらう生活を続けるようになって...6年前に倒れた。
5年前に見舞いに行った時には、長い移動は車椅子だったけど、短い距離ならゆっくり歩けた。
3年前に行った時には、車椅子から離れて歩く事は出来なかった...が、帰り際によく回らない舌でも「今度はオレがリハビリしてお前の所に行く」と言って泣いていた。
「そうだ、リハビリ頑張って今度はお前が東京に来いよ」と言って別れた。


昨年二度目の見舞いに行くつもりだったけど、私の怪我や奥さんの白内障の手術などで行けなかった。
今年、なんとしてもヤツの見舞いに3月に鹿児島を訪ねるつもりだが...

ヤツの面倒を見ているヤツの姉さんによると...
「3年前に別れる時に、ヤツは今度はオレが治してお前の所に行く、と言ってましたけど、ヤツの具合はどうなんでしょう?」
「今は、介護されている状態で、認知症が入って来ています」


「多分、会っても判らないと思います」


ああ。
それでも、3月に会いに行く。
自分も行くのはこれが最後になるかもしれないから。

なあ、オレはお前と指宿ゴルフクラブででも一緒に回るのが夢だったんだぞ。
お前はきっと初めて参加したコンペで、あまりにゴルフが上手く行かなかったんで嫌気がさしたんだよな..あれほど言ったのに。
きっと野球では誰よりもうまかった自分が、野球でレギュラーにもなれなかったヤツに、ゴルフでは全く歯が立たなかったのが我慢出来なかったんだよな...
お前は意外とカッコマンだから、下手で無様な自分の姿を見られるのが許せなかったんだよな。

オレが近くに居れば、首根っこ引っ掴んでも練習場に連れて行って、ゴルフを楽しむ基本を叩き込んだのになあ。
ゴルフを始めていれば、朝から晩迄焼酎を飲み続けるなんて事はなかったかもしれないのになあ。
残念だなあ...口惜しいなあ。



...「お前はオレのツレだ」って言うのが、酔ったお前の口癖だったよなあ...

 

img_0-35

「まるで巡礼の旅ね」
ヤツの世話を唯一している、ヤツの姉さんにそういわれた。
2年ぶりに鹿児島のヤツを見まい、10年ぶりに長崎の「田舎暮らし協奏曲」の金子さんに線香を上げるつもりの旅の事だ。

29日の朝9時少し前に、ヤツの入院している病院の受付に着いた。
少し待って大きな歩行器を押してゆっくり歩いて来たヤツは、2年前より痩せてすっかり年をとってしまったように見えた。
ヤツに向かって手を挙げると、一瞬笑って危なっかしい格好で右手を少し上げた。

こまごまとした外出の際の注意を聞いた後、まずどこに行きたいか聞いた。
...何か言葉を発するのだが、どうしても意味が聞き取れない...理解出来ない。
こっちは焦り、ヤツも困った顔をするのだが、意味が判らない。
そこで、「まず自分の家に行こう」と言うと、コクンとうなずく。
ヤツの家の近くに住むお姉さんに連絡し、家を開けておいてもらう。

その家に向かう途中、2年前ははっきりと家までの道を指で示せたヤツが、途中で道が判らなくなり途方に暮れる。
そこでカーナビに住所を入れてなんとかたどり着く...

ヤツの両親の代から住んでいた大きな家に入ると、本当にホッとした顔をする。
姉さんが「2年前にお二人が連れて来てくれて以来なのよ、家に入ったの」と。

「え?」
「ヤツの子供達は、見舞いに来ないんですか?」
「全然!」
「息子も、娘二人も?」
「全然...2年前から一度も!」

ヤツは、子供を大事にしていた...少なくとも俺よりずっと。
大恋愛で結婚し、長身でハンサムなヤツと小柄でかわいらしい奥さんは、当時人気があった「チッチとサリー」の漫画みたいだと奥さんが自慢していた。
子供をほしがり、「男の子を9人揃えて野球のチームを作る」とか、生まれた長女を見て「こんなかわいい子はいないから芸能界に入れる」とか鼻の下を伸ばしていた。
色々とあの時代に聞いた話では、うちの子供達への小遣いの十倍は子供達にあげていたようだし、よく子供達にお金を使っていた。

正直言ってヤツが大阪に行って以来の付き合いは、年に1〜2回ヤツが東京に来た時に酒を飲むくらいだった。
ヤツの結婚生活、夫婦生活がどうなっているか、家庭がどんな風かは全く知らない。
ただ子供達に車を買ってあげたとか、長女がCMに出ているとかは、ヤツ自身の口から聞いていた。
そして先生を辞めた後、写植の会社を興し、一時はダイエーの仕事を受けていて羽振りが良いとかも、噂で聞いた。
そして従業員が20人を超え、新しい高額な写植機を入れた後、時代がパソコンの時代に変わった事。
やがて、会社が傾き、会社を追われ、離婚し、子供は奥さん側に付き、ヤツ自身は母親の面倒を見るためもあって鹿児島に帰ったと...

そして、病に倒れ、ずっと入院しているのに、子供が誰も面会に来ない。
ヤツのお姉さんが子供達に連絡をしても、反応が無い...。

ヤツはそんなに酷い父親だったんだろうか。
そんなに面会にも行きたくないような、父親だったんだろうか?
子供達はそれぞれ結婚し、その結婚式にはヤツも参加したと聞いている。
その子供達は、裕福な家であったり、普通の家であったり、それぞれ生活をしているが、病院の様々な経費他はヤツの姉さんが年金から払っている。


...ヤツが最初に行きたいといった場所は、ヤツが倒れる直前までバイトしていた宅配便の仕事でいろいろと世話になったという、山奥のお店のオバさんの所だった。
そこに連れて行き、「次に行きたい所は?」と聞くと「トンカツが食べたい」と。
病院食ばかりで、味のはっきりしたものが食べたいのだと。
そこで、以前ヤツが気に入っていたという店に行き、そこでトンカツ定食を食べる。
スマートで格好良かった男が、不自由な手で食べるのに苦労しているのは見ているとつらいが、時間をかけて美味そうに完食してくれた...

しかし、まだ2時前だというのに
「もう、病院に帰りたい」
「疲れた...」
他に行きたい所は?
「病院でいい」
まだまだ行きたい所があれば、と思っていたんだけれど...身体に無理をさせる事は出来ないので、病院に送る。

車椅子に乗せて病室に送る時、こちらの顔を見ないヤツに「また来るからな、もう少しあちこち行けるように身体を鍛えとけよ」と言って、握手をした。

ドアを出る前に振り向くと、ヤツは一言も声をあげずに泣いていた。


「なんで誰も来ないのに、あなた達は来るの?」
ヤツの姉さんに訊かれた。
「ヤツと俺が逆の立場だったら、ヤツはそうすると信じているから」。
多分、ヤツは俺がもっと若くして死ぬような事になった時、「残される奥さんと娘達を頼む」と頼めば、ヤツはきっと誇りをかけて気にかけていてくれるだろうと信じているのだ...そういう男気があるヤツだと信じている。

...若い頃、軟式野球だったけどチームを作り、当時東京でかなり強豪というチームと試合をした。
3点負けていた最終回、4番のヤツは内角球をよけずに身体で受けて満塁にした。
その時俺の顔を見て「あとは任せた」と真剣な顔で言いおいて一塁に向かった。
高校野球で名を馳せプロからスカウトされたヤツが、野球は本業ではない俺を信じてボールを身体で受けた...「まかせろ」。
満塁ホームランでその強豪チームに逆転勝ちした、漫画のようなエピソードがあった。


あれ以来、ヤツは俺を「一番のツレ」と知り合いに紹介して来た。

↑このページのトップヘ