ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

ゴルフ人生で、触れ合いすれ違った人達の、忘れられぬ想いを描き残しておきます。

img_0-18

Kさんは、フリーのイラストレーターとして毎週イラストの仕事をもらっていた、某ゴルフ雑誌の編集長だった。
結構強面でぶっきらぼうで、ちょっと変わった人、という印象だった。

ゴルフの腕も相当なもので、千葉県のあるコースのシングルハンデ(片手だったかどうかは定かではない)と聞いていた。
特に、「グリーン周りのアプローチが最高に上手い」という評判は良く聞いた。
彼が編集長の時には、この編集部は年に4回以上コンペをやり、連載を持っていた俺はそれに毎回参加していた。
そんな風に同じコンペに出たことはたくさんあったのに、なぜかKさんと一緒に回ったことは一度もなかった。
Kさんが、やがてその雑誌の編集長を退いて他の部署に移った後も、その出版社を尋ねたついでにコーヒーを飲んでゴルフ談義、なんていう付き合いは結構続いていた。

それがある日、Kさんが50を前にした時だった...突然、その出版社をやめた、という話を聞いた。
...しばらくして、「九州に行って自給自足生活を始めたらしい」「トライアスロンを始めたらしい」「海の見えるところに家を建てて、漁師をやっているらしい」...なんて噂だけが聞こえてきた。

色々と聞いて調べてみると、九州のあるところで本当に奥さんと二人で自給自足生活をしているということがわかった。
そこである時、Kさんに連絡を取って、九州にうちの奥さんと二人で訪ねていった。

行ってみて驚いた。
見晴らしの良い、海を見渡せる高台に家があった。
家から畑を歩いて海に下りると、まるでプライベートビーチの様な浜辺があり、多くの人が夢見る様な「人生の楽園」の姿がそこにあった。
Kさん夫妻はそこに住み着いて...Kさんは漁師の免許を取り、米を作り、野菜を育て、果樹園をやり、鶏を飼い、海を見渡せる露天風呂を作り、ツリーハウスも造り、朝早くからトライアスロンのトレーニングをし、エッセイを書いたり彫刻を彫ったりしていた。
生活を贅沢にする現金を稼ぐのは大変だけど、生きていくのに十分な食べ物は自分で作り、また十分に生活を楽しむ、という生き方がそこにあった。
奥さんの焼いてくれたパンの旨さや、漁で捕ってきた魚の旨さという「贅沢」が日常にあった。
東京から十数年...Kさんは雨が降れば漁を休み、山に登り、トライアスロンに出場し、エッセイのコンテストに応募して賞を取り、ここで始めたピアノでコンサートに参加し、プロ並みの木工を楽しみ、季節を楽しむ酒を呑み.....。

ただ、驚き、呆れ、感心し...だけど、自分には出来ないとの感触もあり、複雑な気持ちだった。

「ゴルフはしてるんですか?」の問いには、「金がかりすぎるんでやっていない」という返事。
...あれほど好きだったゴルフをやめてのこの生活。

今、「人生の楽園」を生きるKさんを見ていると、決して「不幸なゴルファー」ではなくて「最高に幸せな元ゴルファー」だって思える。

職業、漁師...元東京のシングルハンデゴルファー。



...少し経って、友人のプロゴルファーに道具をもらい、年金を貰えるようになったので、「ゴルフを再開した」なんてニュースを聞いた。


img_0-17

堅い雑誌の編集をしている男だった。
周りでゴルフがブームになり、いわゆる「硬派」でゴルフとは無縁と思われたような男達ほど、ゴルフを始めてみると、ゴルフに熱中するようになっていった時代だった。

嵌れば一番凝りそうなタイプと見ていた。
...多分、本人も何時足を踏み入れようかタイミングを見ていたんだと思う。
こっそりとゴルフ関連の本を見てもいた。

やがて社内で大きなコンペが開かれるのが決まった。
「よし!」と決心した男は、それまでに調べ上げた事と、先に始めていた同僚の協力の下に一通りの道具を揃えて、そのコンペでゴルフデビューすることにした。
かなり良いものを揃えたようだった。
こだわる男だったから、当然練習場にも行き、コンペの日までに相当練習をしていたとも聞いた。

コンペ当日、天気予報は雨。
...そして、このコンペに参加しなかった俺は、彼の当日の様子を彼と一緒に回った親しい編集者から後で聞くことになった。


...朝から強い雨だった。
それも、「大雨警報」が出るような雨だった。
それでも、この日がゴルフデビューとなる彼は、やる気満々でスタートしていったという。
ところが、ドライバーで打ったボールは、水しぶきを上げてフェアウェイに落ち、下手すると地面にめり込む。
当然ランは全くないし、雨具を着込んだ身体では思うようにクラブを振れずに、飛距離は出ない。
アイアンで打つと、顔に泥や水飛沫がかかり、それでなくても初心者の彼はボールに当たらずに、泥の穴を掘りまくるだけで、前に進まない。

ずっと使うつもりでこだわって買った高い皮製のゴルフシューズは、2ホールで靴下までグショグショに濡れてしまった。
革製のグローブは雨で滑り、ボールよりもクラブの方が飛んで行く始末。
下着迄ビショビショになって、やっとたどり着いたグリーンでは川の様に水が流れていて、打っても打っても水しぶきがあがるだけで、ボールが転がらない。


普通だったら主催者も、この豪雨ではラウンド中止にしたかったらしい。
でも、多人数のコンペでバブルの頃の話...日程を延期しようにも、簡単にはそんな大きなコンペの予約は取れなかったので、やむを得ず強行したんだという。

コンペ前には、やる気満々の気持ちを語ってくれた男。
コースデビューを心待ちにしていた男。

なぜ、「世界一不幸なゴルファー」かというと、彼はこれ以降2度とゴルフをやらなかったから。
色々と遊ぶ事にこだわりを持ち、蘊蓄好きで、もし続けていれば一番ゴルフに燃えそうだった男は、ゴルフをたった一度しかしないでやめてしまった。


ずいぶん時間がたってから、彼にそのことを聞いたことがあったけど、彼が話したのは
「やっとカップに入ると、ポチャンっていうんだぜ。」
「気持ちいい事なんて、な〜んにも無かったんだ。」 


img_0-16


毎月ではなく、何ヶ月に一回と言うくらいで頻度で月例に参加していた頃の話。

その時は、気持ちの良い季節だったので久しぶりの月例に参加しようとしていた...が、仕事の都合で直前迄出られるかどうか判らない状態だった。
やっと仕事の都合がついたのが金曜日。
日曜日の月例に、キャンセル待ちでも良いから、と申し込みの電話をした。
「Aクラスなんですけど、空きありますか?」
「9時丁度でしたら空いています。」
「え? そんなに良い時間が空いてるの? じゃ、それでお願いします...キャンセルが出たんですか?」
「いえ、そういう訳じゃ...」

...?、何か変だな、とは感じながら、月例へ。

コースに行くと、いい季節だったのでやはり参加者は多く、練習場も一杯。
スタート時間、同伴競技者に挨拶すると、中年の50代の男と若い30代の男と私の3B。
中年の男は見かけたことはある顔だけど、一緒に回るのは初めて。
若い男は新入メンバーだという。

顔見知りのキャディーさんがついたので挨拶すると、「今日はよろしく。今日は大変だねー」...え??。

....スタートホールで、判った。

この中年男、アドレスに入った後、クラブを持ち上げて顔の前にかざし、何やらクラブにぶつぶつと話しかける(言い聞かせてるのか?)。
その姿は、まるで神社で神主が持っているあのヒラヒラがついた棒...「御幣」とか「大麻(オオヌさ)」とか「祓え串」とか言うらしい...を顔の前に掲げて何やら唱えている姿にそっくりだ。
そして、おもむろに腕を下ろしアドレスに入る。
見ている人間は息を止めて、スイングを始めるのを待つ...待つ...待つ...

...と、また腕を上げてなにやらクラブにぶつぶつと。
また下ろす...また上げてぶつぶつ...また下ろす...

それが、さすがに3度目、4度目になると、「今日は来なけりゃ良かった」と深い後悔がじんわりと湧いて来る。
後ろの組の人達は、誰も彼のスイングを見ていない。
てんでに勝手な方向を向いて、目をそらしている。

そうか、そういうことだったのか...みんなこの男の事を知っているんだ。
9時が空いていたのも、キャディーが同情したのも...この男、だ。

莫大な時間を使って、延々と儀式を繰り返した後、ボールはフェアウェイセンターへ。
お辞儀をして、にっこり笑って、引きつった顔の我々を気にもしないでクラブをバッグに戻す。
マナーは良いらしい、腕もそこそこらしい、人柄も悪くはないようだ...毎ショットごとに発狂するほど同伴競技者をイライラさせる以外は。

...自分のゴルフ人生で、一緒に回っている人を後ろから蹴り倒したくなったのはこの男だけだった。

そしてこの男、毎月例の度に、真っ先に9時丁度のスタートに自分の名前を書き入れるので、みんなはその時間を避けているって事が判った。
そのクセは月例参加者の間では有名で、あだ名が「神主」とか「お辞儀屋」とか言われていることも判った。

当然その日の俺ともう一人のスコアは滅茶苦茶となった。
さんざんイライラさせられているのに、彼が遅れる分を我々二人が必死に急いでプレーしなければならなかったので。
もう、「9時丁度のスタートだけは絶対に取らない」...頭の中でそう言う言葉をずっと繰り返していた。



...しばらく時間が経って、その男がクラブを退会したと噂で聞いた。

月例参加のメンバーが、皆「彼と同じスタート時間だけはやめてくれ」と名指しをして申し入れるようになり、遂には一緒にプレーをする人がいなくなってしまったらしい。

彼のそのクセが最後迄治ることはなかった、とも。

↑このページのトップヘ