ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

ゴルフ人生で、触れ合いすれ違った人達の、忘れられぬ想いを描き残しておきます。

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Aさんがそのコースに来たのは15年ぶりだった。

プレーするチャンスはその間に何回もあったのだけれど、あえてそのコースに行くことは避けていた。
そのコースはT県の奥にある、チャンピオンコース。
コースは良いのだけれど、都内からは遠いのでそれほど知られたコースという訳ではない。

15年より前、Aさんは此処のメンバーだった。
丁度バブルの始まる前で、ゴルフに熱中しだしたAさんは競技ゴルフをしたくてこのコースを手に入れた。
インターからも遠くて、都内からは行きにくかったこのコースはコース自体の評価の割にはまだ値段は安かった。
でも、地形に恵まれてトリッキーなホールは少なく、コースレートは73に近いこのコースは「知る人ぞ知る」の名コースだとAさんは思っていた。
そしてそれから10年以上競技ゴルフに熱中したAさんは、ハンデは5に近いシングルになり、クラブ競技で名の知れたゴルファーになった。

そのAさんには、このコースに通う楽しみがもう一つあった。
それは帰り道をいろいろと変えて楽しんでいるうちに見つけた、地元のおばあさんのやっているお土産屋。
「土産」といっても、それは自分でとってきた山菜や、茸、自分で作っている「米」や「野菜」「果物」、それに自家製の「みそ」や「漬け物」みたいなものだったけど、どれもが安くて驚く程旨かった。
春は野生のタラの芽や、ワラビ、ゼンマイ...
夏から秋は珍しくて旨いいろいろな名も知らないキノコ...これは旨い食べ方迄教えてもらって、酒の摘みにはどれも絶品だった。
そして新米や、果物類も...
毎週のようにコースの帰りに立ち寄っていたAさんは、すっかりそのおばあさんと仲良くなり、おばあさんはいつも売り物じゃあないおまけをいっぱいつけてくれるようになった。
自分達が食べている浅漬けのお新香とか、数の多く取れない豆類や芋など...


それが15年前、Aさんは仕事を変わったために収入が減り、どうしても必要があってこのコースを手放した。
何年かはゴルフどころじゃない生活が続き、またゴルフが出来るようになったのは7年ほど前から。
今は自分のコースを持たずに、あちこちの安いところを探してプレーしているが、そのコースだけにはどうしても行く気になれなかった。
かってメンバーとして充実したゴルフライフを送っていた思い出がある分だけ、近づけなかった。

15年ぶりにプレーしたかってのホームコースは、木々が大きくなり、記憶にある風景とは少し変わっていた。
メンバーも殆ど入れ替わったらしく、知った顔には一人も会うことはなかった。
(このコースも、この近辺のコースと同じように預託金の返還が出来ずに倒産し、経営が変わった事はニュースで知っていた。)



プレーが終わると、このコースに再び来ることでずっと気になっていたもう一つの気掛かり...帰り道の、あのお土産屋に立ち寄った。


...そこには雑草に囲まれて、半分朽ちている店の残骸があるだけだった。
考えてみれば、あの頃から15年...もうおばあさんが店にいるはずもなかった。
別れも言わずに、ある日立ち寄らなくなった自分のことを、おばあさんは気にしていただろうか?
いつも自分用に用意してくれていたおまけを、おばあさんはいつ迄用意してくれていたんだろうか?


心残りが、自分を責める...


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Tさん夫婦は、車を捨てた。

夫の定年に伴って、夫とこれからの生活を話し合った中で結論が一致したから。
少ない退職金は家のローンを完済したら、たいして残らなかった。
年金をもらえる年齢迄の生活は、私がパートを続けることと夫もとりあえずの年間契約の仕事を続けることで何とかなりそうだ。

でも、収入は半分くらいになる。
そこで何が切り詰められるかを話し合った。
一致したのが車...小さな大衆車なんだけど、軽じゃあないんで車検や税金、駐車場代金などが重過ぎた。
おまけに、車を使うことはゴルフへ行くことが中心で、買い物やちょっとした旅行なんかでは殆ど使ってなかった。
車は売るとして...じゃあ、ゴルフもやめる?

これは難しかった...月に1回くらいしかゴルフには行ってないけど、今では夫よりもスコアはいいし、近所の練習場も安いので週に一度くらい友達と練習するのもいい気分転換になる。
勿論練習そのものより、気の置けない仲間達とのおしゃべりの方が中心なんだけど。
...夫も、ずっと上手くならないけれどゴルフは好きらしい。
「残りの人生にだって、月に一度の楽しみは必要だ」、そんな風に意見が一致した。

で、結論は「車を売って、電車でゴルフは続けよう。」
(でも、車は古過ぎて売る事が出来ず、廃車にするしかなかった。)

仲間とのコンペなんかでは相乗りさせてもらうけれど、夫とゴルフに行くときは電車を利用して行くことにした。
当然、駅迄送迎バスで迎えに来てくれるコースや、バスの便があるコースばかりにしか行けないけれど...これが結構楽しい。
クラブは宅急便で送ってしまうから荷物も少なくて、朝なんかはまるで遠足気分。
通勤の人達と同じ方向には私達が行ける様なゴルフ場は無いから、朝乗る電車は殆ど座れるし。
郊外に出てから電車の中で朝食をとるのだが、おにぎりを食べながらお茶を飲み、窓を流れ行く景色を見ていると、季節の移ろいも実に良く感じることが出来る。
車を使っていた時には感じられなかった贅沢感だ。
帰りも、夫は車の運転を考えなくて済むので、実に寛いで缶ビールを飲むことが出来ると喜んでいる。

車がある間は全くする事のなかった「のんびりとした鉄道の旅」...これ、本当は自分が凄くしたかったことなのかもしれない。今は、月に一度「遠足気分で鉄道で旅に出る」のが楽しくてしょうがない。


...そしてその上ゴルフ迄できるんだから、なんにも文句はない。

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Kさんは東京の下町で,家族でやっている小さなプラスチック工場の経営者だった。
バブルの始まりの景気の良い頃に、ゴルフにはまったKさんはこのコースの会員権を手に入れた。

簡単に買える金額ではなかったけれど,その頃はずっと会員権の値段は右肩上がりで上がっていて「好きなゴルフをいつでもやれる」ってことと、「確実な投資」も兼ねているから、と購入に踏み切った。
工場の経営も、同じように右肩上がりで伸びていたから、ローンで買っても不安は何も感じなかった。

当然熱中していたゴルフもますます熱が上がり、時間が空くと徹夜明けでもコースに直行した。
毎月の月例、理事長杯、クラチャン、開場記念杯、新年杯、盛夏杯、忘年杯、全て参加した。
ハンデは16から始まって、7まで行った。

Kさんはゴルフのプレーだけにはまっていた訳ではなく、ゴルフの歴史も勉強した。
シングルになってからは、特にマナーに気をつけた。
その中で、彼が気になったのはグリーン上のピンの扱い。
グリーンに乗ってピンを抜いたあとの、その取り扱い...抜いたあとのピンをグリーン上に放り投げようものなら、大きな声で注意した。
彼はピンをグリーン上ではなく、グリーン周りのラフまで持って行って静かに置いた。
抜くときも彼は慎重にカップ周りを傷つけないように抜き、挿すときも慎重にカップ周りに触らないように丁寧に挿し、後続組に一礼してからグリーンを降りた。
先にパットを終えたときには、必ず自分でピンを持って待機していた。
そうしていつか、他の人が持っていても丁寧に奪い取るようにして、自分でピンを持つようになった。

いつしか月例に参加するメンバー達の間にそれが知れ渡り、彼の組は彼がいつもピンの係のようになるのが自然になった。

...バブルがはじけて,一時期2000万を越える値段がついたこのコースの会員権もみるみるうちに下がってきて、200万円を切る程の価格となった。
同時に不況がやってきて、下町の中小工場には厳しい逆風が吹くようになった。
それでも彼の工場は、彼の信用と家族経営で人件費がなんとかできるということで「大丈夫です。うちは信用がありますし、技術に自信もありますから」なんて言っていた。

でも,そのあとに続く不況は長く、時代の変わり目の激動は収まらなかった。
ある月例で久し振りに彼に会ったとき、「うちも厳しくなりました。私もこの月例が最後なんですよ、」「仕事の質が変わってしまって厳しいです。此処の会員権を売れるときに売ってしまって、損金を出さないと...」

このコースも「倒産」の噂がちらほらと出始めて、「売るなら今のうちだ」ということだった。
倒産したら紙くずになってしまう会員権...今ならまだ損金として計上して、少しでも苦しい家計にプラスになる(今は法律が変わって損金計上は出来なくなったが、当時はまだ出来た)。

...でも、自分のゴルフの歴史と、プレーの思い出のぎっしり詰まった会員権...売ることには本当に迷ったそうだ。
でも、もう業者に手続きをしてしまったので、その日の月例が最後のメンバーとしてのプレーになると...

彼は、今までと変わらず淡々とプレーした。
丁寧にピンを抜き、丁寧にピンを置き、自分でピンを持ち、丁寧にピンを挿し、一礼してグリーンを降りる。

「もう、このコースにこうしてプレーに来ることはないんしょうねえ...」
彼は18番でピンを挿したときに、名残惜しそうにピンに向かって語りかけた。



「ありがとう。」


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