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いつもの居酒屋に入ったとたん、失敗したと思った。
カウンターしかない席はほぼ満員で、一番奥の一つ前の席しか空いていない。
しかもその一番奥の席には、60を越えた年配の既に出来上がった雰囲気の男が「いい相手がきた」とばかりに待ち構えている。

うっかりこの手合いに話しかけられて応えてしまうと、ずっとあと迄話を聞かされることになるので「俺に話しかけるな」光線を目一杯出しながら、視線を絶対に合わせないで席に着く。
居酒屋の親父とほんの少しだけ話しながら、目を背けて自分の「酒を飲む」世界に閉じこもろうとした...その時、よせばいいのに親父が「最近ゴルフ行ってる?」なんて話をふりやがった...「ゴルフ、やるんですか?」...ああ、食いつかれた。

話しかけられて無視する訳にもいかず、彼の世界に引きずり込まれる...

「私も,退職する迄は週一回はゴルフ行ってたんですよ」
「殆ど全部仕事がらみでしたけどね」
「腕は90を切るくらいでしたけど、仕事で気を使うゴルフはあんまり楽しくなかったですねえ...」
「でも、ゴルフ自体は大好きだったんで、いつか仕事を離れたら思う存分やりたいって思ってました」
「おかげで日曜日は女房はいつも留守番で..」
「ええ、女房も自分の友達と月一くらいでゴルフに行っていたようです」
「3年前に定年になったので、苦労かけた女房とこれから二人で日本中のゴルフコースを旅行がてら回りたい、なんて思ってたんですよ」

「奥さんとゴルフになんて行かれるんですか?」
私ですか?...ええ、稼ぎが少ないんで一ヶ月か二ヶ月に一回くらいですけど、二人であちこち回りますが...
「いいですなあ...わたしもそうしたかったんですけどねえ..」

「いやあ,私が退職して3ヶ月くらいしたら、女房が身体を壊しちゃったんですよ」
「なんだか立ちくらみがするとか、動悸が激しくなるとか、夜眠れないとか...」
「いろんな医者に行っても治らなくって、症状は重くなるし、大変だったんです。」

「それがねえ、やっと原因が分かったんですよ...心療内科とか言うんでしたっけ...そこでね、その病気の原因が...」
「...ええ、原因は私なんだそうで..」
「ずっと家にいなかった私が、退職して一日中家にずっといる事が女房にひどいストレスになっていたんだそうです。」

「信じられませんでしたよ、そんなこと...私がいったい何したっていうんです?」
「...それで以前から考えていたように、女房に二人で日本中のあちこちにゴルフ行かないか、なんて聞いたんですよ、そうしたら...とんでもない、あなたはご自分の仲間と行ってください,私は友達と行きますから、って...」
「...だから、定年になって3年になるんだけど、ゴルフは殆ど行ってません」
「...ただ家にいるだけでも女房のストレスになる、って言うんでこんな風に昼から酒飲んでます...ははは...」
「それでもまだいい方らしいですよ、知り合いで退職と一緒に離婚したのが何人もいますから...」

「あなたはいいですなあ...奥さんと仲良くやっているんだ」
「...私も私なりに女房を大事にして来たつもりだったんだけどなあ...」

「ああ...つまんない話ばっかりしてごめんなさいね...酔っぱらっちゃってるから...」



「...でもね、本当にね、私ね、定年になったらね...ゆっくりと女房とゴルフするつもりだったんですよ...」