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Kさんは東京の下町で,家族でやっている小さなプラスチック工場の経営者だった。
バブルの始まりの景気の良い頃に、ゴルフにはまったKさんはこのコースの会員権を手に入れた。

簡単に買える金額ではなかったけれど,その頃はずっと会員権の値段は右肩上がりで上がっていて「好きなゴルフをいつでもやれる」ってことと、「確実な投資」も兼ねているから、と購入に踏み切った。
工場の経営も、同じように右肩上がりで伸びていたから、ローンで買っても不安は何も感じなかった。

当然熱中していたゴルフもますます熱が上がり、時間が空くと徹夜明けでもコースに直行した。
毎月の月例、理事長杯、クラチャン、開場記念杯、新年杯、盛夏杯、忘年杯、全て参加した。
ハンデは16から始まって、7まで行った。

Kさんはゴルフのプレーだけにはまっていた訳ではなく、ゴルフの歴史も勉強した。
シングルになってからは、特にマナーに気をつけた。
その中で、彼が気になったのはグリーン上のピンの扱い。
グリーンに乗ってピンを抜いたあとの、その取り扱い...抜いたあとのピンをグリーン上に放り投げようものなら、大きな声で注意した。
彼はピンをグリーン上ではなく、グリーン周りのラフまで持って行って静かに置いた。
抜くときも彼は慎重にカップ周りを傷つけないように抜き、挿すときも慎重にカップ周りに触らないように丁寧に挿し、後続組に一礼してからグリーンを降りた。
先にパットを終えたときには、必ず自分でピンを持って待機していた。
そうしていつか、他の人が持っていても丁寧に奪い取るようにして、自分でピンを持つようになった。

いつしか月例に参加するメンバー達の間にそれが知れ渡り、彼の組は彼がいつもピンの係のようになるのが自然になった。

...バブルがはじけて,一時期2000万を越える値段がついたこのコースの会員権もみるみるうちに下がってきて、200万円を切る程の価格となった。
同時に不況がやってきて、下町の中小工場には厳しい逆風が吹くようになった。
それでも彼の工場は、彼の信用と家族経営で人件費がなんとかできるということで「大丈夫です。うちは信用がありますし、技術に自信もありますから」なんて言っていた。

でも,そのあとに続く不況は長く、時代の変わり目の激動は収まらなかった。
ある月例で久し振りに彼に会ったとき、「うちも厳しくなりました。私もこの月例が最後なんですよ、」「仕事の質が変わってしまって厳しいです。此処の会員権を売れるときに売ってしまって、損金を出さないと...」

このコースも「倒産」の噂がちらほらと出始めて、「売るなら今のうちだ」ということだった。
倒産したら紙くずになってしまう会員権...今ならまだ損金として計上して、少しでも苦しい家計にプラスになる(今は法律が変わって損金計上は出来なくなったが、当時はまだ出来た)。

...でも、自分のゴルフの歴史と、プレーの思い出のぎっしり詰まった会員権...売ることには本当に迷ったそうだ。
でも、もう業者に手続きをしてしまったので、その日の月例が最後のメンバーとしてのプレーになると...

彼は、今までと変わらず淡々とプレーした。
丁寧にピンを抜き、丁寧にピンを置き、自分でピンを持ち、丁寧にピンを挿し、一礼してグリーンを降りる。

「もう、このコースにこうしてプレーに来ることはないんしょうねえ...」
彼は18番でピンを挿したときに、名残惜しそうにピンに向かって語りかけた。



「ありがとう。」