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まだ揃えたばかりで、何ラウンドも使わないうちにゴルフ休止を宣言せざるをえなかった一級建築士のTさんは、以前の仕事部屋の片隅にまだキャディーバッグを置いていた。

バブルの頃には仕事は次々とやって来て、寝る間もない程忙しかった。
その頃から始めたばかりのゴルフに熱中して、仕事が一段落すると殆ど寝ずにゴルフに行くなんて事がよくあった。
稼ぎも良かったので、すぐに手の届くコース(ちょっと遠かったが)の会員権を2枚手に入れ、間もなくシングルハンデと言う所迄腕を上げていた。
当然道具にもこだわり、当時最先端の「飛ぶ」と言われた230チタンに、プロ好みの顔と言われたダンロップのDPー201アイアンを揃えた所で「風が変わった」。

バブル崩壊と共に個人事務所への設計以来の仕事は激減し、食うのに困る程になってしまったので、ゴルフは一時休止として大手設計事務所の契約社員となった。
幸い、一級建築士の資格は仕事内容に拘らなければ仕事口は十分にあった。

「やがて景気が回復すれば個人事務所を再開し、またゴルフを始めたい」「また始める時にはまだ新品同様の230チタンが、きっと喜びの雄叫びを上げてくれるはず」「DP−201はきっと得意のドローボールでピンを攻めて行けるはず」...そう思って、じっと我慢の時を過ごしていた。

しかし、長い時間と共に何回か事務所を変わって、だんだん身体にきつい仕事が多くなった。
個人の設計の仕事が多くなる事は無く、雇われでしか稼ぎを得る事は出来ない状況はずっと変わらなかった。

あれから、本当に、随分の時間が過ぎてしまった。

数ヶ月前に、現場でやってしまった。
不安定な足場でチェックをしていた時に、不意にバランスを崩して....落ちた。
命に危険のあるような場所ではなかったが、落ちた時に右足に激痛が来た。
足首に激痛があり、軽い怪我では済まない事が脂汗と共に感じられた。

足首の複雑骨折。
折れた骨は外には出ていなかったが、単純な骨折ではなかった。
3ヶ月は動けなかった。
この年だから、折れた骨が完全に治るのには一年以上はかかるだろう。
足首を固定して、杖を突きながらなんとか歩けるようになったのが、つい一週間前。
仕事に行かなければ収入も無いので、とにかく早くリハビリをして現場に出られるようにならないといけない。
これから毎日少しずつでも歩くようにする。

...しかし、これでゴルフはもう二度と出来ないだろう。
最後に残っていた僅かなゴルフに対する気力も、これで尽きてしまったような気がする。
医者にも、ゴルフはもう無理だろうと言われた。


ああ、230チタンよ。
DPー201アイアンよ。
悪いなあ...
お前達は買ってから何ラウンドも使っていないよな。
...俺はいつかまた、お前達と一緒に緑のフェアウェイを歩けると思っていたのになあ...

もう売っても二束三文にしかならないし、捨てるのも忍びない。

なあ、230チタンよ...
これからはこの部屋の片隅で、「叶わなかった夢」の話を肴に、俺と一緒に酒を飲もうか...愚痴ろうか。