ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

2017年06月

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拝啓..なんて、堅苦しく書くのはやめておこう。
俺が先に18番をホールアウトした、というだけのことだ。

お前が先に始めたゴルフを、あとから始めた俺がすぐに追いついたことは、今でも悪いことをしたと思っている。
頭に来たお前が、俺に永久スクラッチで握り続けることを申し込んで来た時に、受け入れたことも悪いことをしたと思っている。
俺の方がいつもお前より10ヤード以上飛ばしていたのも、悪かったと思っている。

おかげで俺はお前から勝ち逃げすることになってしまったし、お前が俺の何倍もドライバーを買い替える事になったのも、みんな俺のせいだ。
こう書くとお前が、握りはたいして差がつかなかった、とかドライバーで負けても小技は俺の方が上だったとか反論する声が聞こえるようだが、いつもセカンドショットを先に打つ時のお前の口惜しそうな顔が目に浮かぶぞ。

だがお前のおかげで、俺のゴルフは楽しかった。
いろいろなことはあったが、お前とのゴルフは楽しかった。
俺は、ゴルフとお前に感謝する。
どうもありがとう。

追伸
握りの勝ち逃げの分は、香典でチャラだ。
俺は遠くの19番ホールで酒を飲みながらゆっくりしているから、お前はもうしばらくゴルフを楽しんでいてくれ。

追伸
お前はここ一番で力が入ると、左の膝が早く伸びて突っ張る癖がある。
だから、肝心な時に左に引っ掛けてミスをする。
これは10年以上前から気がついていたんだが、握りに勝つためにお前に言わなかった。
親友とはいえ、永久スクラッチのライバルだ...心の狭い俺を許してくれ。

俺は笑っているんだぞ。


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「同じ白ティーからやって俺より飛ばすなんてね...」

(なんだよ、結局それが理由かよ。)
本当のところはそれが理由ならしょうがない、と妙に納得して黙って聞いている自分がいた。
会社の同僚から始まって、5年続いた男との別れの場面。
特に熱い会話がある訳でもなく、薄々感じていた事がはっきりとしただけの話。

彼に誘ってもらった事から始めたゴルフ。
すぐに夢中になって、ゴルフ教室でプロの指導を受け、週2回の練習と毎日のストレッチや素振りやジョギングを欠かさないようになった。
元々運動が好きで、学生時代はテニスやバレーボールで優勝経験もあった。
社会人になって運動する機会が無くなり、そういう事に飢えている時にゴルフに出会ったので一遍に熱中してしまったんだと思う。
身体のバネと柔らかさはまだ学生時代の遺産として残っていたので、ボールを打つタイミングと形を身体に覚えさせた後は上達は早かった。
特にインパクトのタイミングをつかんだ後は、プロも驚くくらいにボールがよく飛んだ。
ヘッドスピードもゴルフショップの測定では最高で45まで出た。

女性同士のコンペではいつもドラコンをとるのが当たり前になり、女性用の赤ティーで回るのがつまらなくなった。
会社のコンペや練習場のコンペでも、許されている時はなるべく男性と同じ白ティーからプレーするようになった。
スコアはボギーペース以上には中々ならなかったが、ボールを飛ばす事が気持ち良くてゴルフの誘いは断らなかった。

...彼とのゴルフでも同じティーからプレーするようになり、3回に1回は彼をアウトドライブすると「勝った!勝った!」と喜んでいた。
その頃から彼とのラウンドは少なくなり、一緒に出場するコンペでも同じ組にならないようになった。
自分はゴルフ自体が面白かったので、あまり気にしてなかったんだけれど...ある日、彼が深刻そうな顔で「ちょっと話があるんだけれど...」と言って来た時に、不思議にピンと来た。

「逢うのをやめよう」
その後いろいろと理由を話して、謝った上でこう言った。
「同じ白ティーから打って、俺より飛ばすなんて我慢出来ないんだ」
それが本音かよ。
それが最後の言葉かよ。

ゴルフが理由の別れだけれど、ゴルフがあるから大した痛みも感じない。
さよなら、どうもありがとう。

今度は、私は私より「飛ばす」男をみつけるわ。

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あいつからの年賀状には「謹賀新年」しか書いてない。
もっとも、俺からのだって「賀正」しか書かなかったんだから、お互い様か...

「あんなに仲が良かったのに、一体どうしたの?」なんて、以前一度だけ女房が聞いたことがあったけど、何も言いたくないので黙っていたらそれ以上聞こうとはしなくなった。
女房同士は今までと変わらずに付き合っているようだから、何か聞いているのかもしれないが...

...4年前に二人でダブルスの試合に出るまでは、永久スクラッチを約束したライバルであり親友とも言えた。
「俺たちなら、あのダブルス戦決勝でもいいところに行くぞ」なんて、どちらともなく言い出して参加を決めたある新聞社主催のダブルス戦。
お互いの良い方のスコアをカウントしていくから、予選でもパープレーとか1オーバーがカットになる。
でも、俺たちなら噛み合えばアンダーには絶対なるだろう...そんな自信が二人ともあった。
俺はショットに自信があったし、奴は小技とパットに強かったし...

試合では、どう見ても我々より上手くはなさそうな二人と一緒になり、自信を持ってスタートした。
...が、結果は信じられないくらい噛み合わなかった。
二人一緒に3ボギー、1ダボ...バーディーを二つとっても焼け石に水だった。
我々二人よりそれぞれグロスでは悪い同じ組の二人が、それぞれ80近く叩きながら見事に噛み合って1オーバーでまわったのに対し、我々は二人とも4オーバーでまわって3オーバー...2打足りずに予選落ちとなった。

その夜、二人で残念会をした...口惜しかったためか思ったより酒が進んだ。
「俺が悪かった...お前がOBを打った時に、お前の分も取り返すなんて力が入ってクリークに打ち込むなんて。」
「いや、俺が悪いんだ。 お前のトラブルを見て、無理にバーディー狙いにいって3パットして..」
「いや、俺が悪い。 堅く行くべき所でつい狙ってしまった..」
「いや、悪いのは俺だ...」
「いや、俺の方が悪い..」
...気がついたら、喧嘩になっていた。
なんの拍子にか、「もうお前とはゴルフやらねえ!」「ああ、俺もやりたくねえ!」
売り言葉に買い言葉だった。

そのまま、もう4年になる。
ただ、お中元とかお歳暮で、奴からはゴルフの小物が贈られてくる。
もちろん、俺からも同じだ。

去年のお歳暮には、流行のGPS距離計が贈られて来た...偶然俺から贈ったのも、違うメーカーの距離計だったけど。
なんだか気まずくて、一緒にゴルフする気になれない...が、付き合いが切れる訳でもないらしい。

女房はあきれて見ているのだが...

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「あら...」
物置を整理していたとき、亡くなった義父の残したキャディバッグにカビがついているのを見つけた。
ゴルフ好きだった義父が、最後に使っていたセットを入れたまま物置の片隅にずっと置いてあるものだ。

忙しくてあまりゴルフを出来ない夫は「古いものだし処分しようか」と言うけれど、優しくしてくれた義父が一番の趣味としていたゴルフで、亡くなる直前まで使っていたクラブセットをそう簡単に捨てられる気持ちにはならなかった...もう15年以上になるけれど。

自分もシングルだった生前の義父に、グリップやらスイングやらの基本は練習場に連れて行ってもらって教えてもらったことはあった。
でも、その頃は子育てに忙しくて、ゴルフをやるなんてつもりは全くなかった。
それが、子育ての一段落した3年程前から、スポーツ教室の一つとして始めたゴルフが面白くてしょうがなくなってきて、義父のキャディーバッグに生えたカビが気になったのだ。
...「可哀想に」と思って、バッグを奇麗に拭いて中のクラブがどうなっているか覗いてみた。
ウッドはパーシモンが2本と、小さなメタルウッドが1本、古いリンクスのアイアンセットと、古いピンのパター。
毛糸のヘッドカバーを被せてあったウッドを見ると、ドライバーだけが新品のように奇麗なものだった。
つい引っ張り出して手に取ってみると、意外に軽くシャフトも柔らかく感じる。
パーシモンのドライバーなんて最近見たことないからよくわからないが、なんだかヘッドが普通のよりもっと小さい気が...
でも木目の奇麗な、傷のないドライバー。
...それで思い出した。
亡くなる直前に、入院していた義父を世話していた時に「ゴルフは本当に面白いからやって見なさい」「私のドライバーを使っていいから...」なんて言われたことを思い出した。
「子供の手が離れたらやってみたいですけど、私に男物のドライバーなんて使えませんよー」なんて言って、その話はそれで終わった。

15年以上たって、その小さなパーシモンのドライバーを持ったとき、不思議な気持ちがしたので夫に聞いてみた。
「あのドライバー、お義父さんが使ってみろって言っていたけど、私に使えるのかしら?」
「ドライバー?...そういえば、入院する前に病気で体力が落ちているので、ドライバーを特注で作ってもらったって言っていたなあ...」
「それを使っては2ラウンドしか出来なかったけど..」

夫にそのドライバーを見せると
「ああ、やっぱり!」
「これ、ドライバーを小さく薄く削ってロフトをつけて、シャフトもレディースだよ...それで、本当は3Wか2Wみたいなもんなんだけど、かっこが悪いからって1番のソールをつけているんだ」
...確かにヘッドは小さくて、Green Pro って書いてあるのに、ソールにはHONNMA EXTRA 90 の1というのがついている。
おまけにフェースの反対側にはバックウェイトと言うんだろうか、大きなものがはめ込んである。
シャフトは赤紫の柔らかいもので、何の表示もついていないし、グリップも細い。
「そうだ、おやじの奴...結構高くなったけど、自分が使わなくなってもお前が使えるように特注で作ったんだって言っていたっけ..」

そうか...だから病室であんなこと言ったんだ..

練習場で打ってみると、飛ばないし、難しいし、使える自信は全くないけれど、当たった時に本当に優しい感触が残る。
私のキャディーバッグには、どうせ12本しかクラブが入っていないんだから、これからはこれも入れて行こうと思っている。
ラウンド中に1回でもこれを使って打てば、ゴルフにも自分にも周りにも優しくなれるような気がするから。

...今頃気がついた、お義父さんの最後のプレゼント...どうもありがとう。


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まだ揃えたばかりで、何ラウンドも使わないうちにゴルフ休止を宣言せざるをえなかった一級建築士のTさんは、以前の仕事部屋の片隅にまだキャディーバッグを置いていた。

バブルの頃には仕事は次々とやって来て、寝る間もない程忙しかった。
その頃から始めたばかりのゴルフに熱中して、仕事が一段落すると殆ど寝ずにゴルフに行くなんて事がよくあった。
稼ぎも良かったので、すぐに手の届くコース(ちょっと遠かったが)の会員権を2枚手に入れ、間もなくシングルハンデと言う所迄腕を上げていた。
当然道具にもこだわり、当時最先端の「飛ぶ」と言われた230チタンに、プロ好みの顔と言われたダンロップのDPー201アイアンを揃えた所で「風が変わった」。

バブル崩壊と共に個人事務所への設計以来の仕事は激減し、食うのに困る程になってしまったので、ゴルフは一時休止として大手設計事務所の契約社員となった。
幸い、一級建築士の資格は仕事内容に拘らなければ仕事口は十分にあった。

「やがて景気が回復すれば個人事務所を再開し、またゴルフを始めたい」「また始める時にはまだ新品同様の230チタンが、きっと喜びの雄叫びを上げてくれるはず」「DP−201はきっと得意のドローボールでピンを攻めて行けるはず」...そう思って、じっと我慢の時を過ごしていた。

しかし、長い時間と共に何回か事務所を変わって、だんだん身体にきつい仕事が多くなった。
個人の設計の仕事が多くなる事は無く、雇われでしか稼ぎを得る事は出来ない状況はずっと変わらなかった。

あれから、本当に、随分の時間が過ぎてしまった。

数ヶ月前に、現場でやってしまった。
不安定な足場でチェックをしていた時に、不意にバランスを崩して....落ちた。
命に危険のあるような場所ではなかったが、落ちた時に右足に激痛が来た。
足首に激痛があり、軽い怪我では済まない事が脂汗と共に感じられた。

足首の複雑骨折。
折れた骨は外には出ていなかったが、単純な骨折ではなかった。
3ヶ月は動けなかった。
この年だから、折れた骨が完全に治るのには一年以上はかかるだろう。
足首を固定して、杖を突きながらなんとか歩けるようになったのが、つい一週間前。
仕事に行かなければ収入も無いので、とにかく早くリハビリをして現場に出られるようにならないといけない。
これから毎日少しずつでも歩くようにする。

...しかし、これでゴルフはもう二度と出来ないだろう。
最後に残っていた僅かなゴルフに対する気力も、これで尽きてしまったような気がする。
医者にも、ゴルフはもう無理だろうと言われた。


ああ、230チタンよ。
DPー201アイアンよ。
悪いなあ...
お前達は買ってから何ラウンドも使っていないよな。
...俺はいつかまた、お前達と一緒に緑のフェアウェイを歩けると思っていたのになあ...

もう売っても二束三文にしかならないし、捨てるのも忍びない。

なあ、230チタンよ...
これからはこの部屋の片隅で、「叶わなかった夢」の話を肴に、俺と一緒に酒を飲もうか...愚痴ろうか。

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Tさんは一級建築士、建築設計のプロだ。

20年以上前、バブルの始まる頃に師匠である有名建築家のもとから独立して、自分の建築設計事務所を立ち上げた。
その頃はマンションの設計を受けると、設計料は数百万円の金が入った。
そういう仕事が途切れることなく入って来て、設計事務所は順風満帆、早くから(ウィンドウズになる前から)パソコンのソフトを使用した設計技術も信頼されていた。
ゴルフは師匠のところにいる頃から始めて、自分の設計事務所を持つ頃には二つのコースのメンバーだった。
ただし、その頃は会員権の値段も急騰して、買えたのは栃木や群馬のちょっと遠いコースだったけど。
時間が空いた時には、近くの空き地にボールを4−50個持って行ってアプローチ練習するなど、かなり熱中してゴルフをやっていた。

しかし、しばらくして流れが変わった。
バブルの崩壊とともに、大きな仕事が来なくなった。
仕事は小さな改装や立て直しなんてものの設計や修正が多くなり、入ってくる金額も一桁以上少なくなった。
その後も流れは変わらず、家のローンの支払いにも事欠くようになって、ゴルフの会員権は2枚とも手放した。
そして今では自分の設計事務所は畳んで、大きな設計事務所に契約社員で通っている。
奥さんもずっとパートで働いている。

...仕事では使わなくなった自宅の事務所の片隅に、今でもキャディーバッグが一つ置いてある。
最後に使ったのはもう15年以上前になるだろうか...大学の同窓会のコンペだった。

この何年かは、キャディーバッグに触れてもいないけれど、中に入っているクラブは、いつか再びゴルフを再開するときのためにと、最後にそろえたこだわりのクラブだ。
アイアンはダンロップのDP−201が2番から、パターはピンのスコッツデール、フェアウェイウッドはテーラーメイド...そしてドライバーはブリジストンの230チタン。
(230チタンは当時最新のドライバーで、これを初めて使った時にはその飛びに感動したものだった...)

これらのクラブは、シングルハンデを目指して熱中していた当時に、自分が考えた最強のクラブセットだった。
数年前に、カビの生えてしまったグローブや、黄色く変色したボールは捨てたけれど、このクラブセットは捨てるのに忍びなくて部屋の片隅に置いたまま...
時間の流れを感じるのは、当時最大容積のドライバーということで230を名に付けたドライバーが、今主流のドライバーの半分の容積しかない、という事実。

そんな、買ってから何ラウンドも使わなかった230チタンだが、自分がゴルフを再開するときが来たら、また自分の期待に応えてフェアウェイで吠えてくれるんだろうか。

...ずっとキャディーバッグの中で待っている230チタンは、どんな夢を見ているんだろうか...

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何年か前のI県でのオープンコンペで一緒になった男は、身長190センチ近い大きな男だった。
野球をやっていたという身体は、年は40前後でまだ中年太りには早く、尻の筋肉も若い頃の運動の遺産として十分に活躍していそうな体型だった。
いっしょに並ぶと(体重では勝っているみたいだったけど)182センチの身長の自分が、一回り小さく感じる程。

この男が殆どのティーショットを1番アイアンで打つ。
それが飛ぶ!
自分のドライバーの当たりが悪いと、負ける。
もう一人の同伴競技者は完全に30ヤード近く置いていかれる。
その打球は中弾道で約270ヤード前後飛び、フェアウェイをほぼ捉える。
オープンコンペの白ティーからだとほとんどのホールでセカンドはウェッジだった。
しかし、彼のキャディーバッグを見ると最新のドライバーがちゃんと入っている。
「ドライバーは使わないんですか?」
「ええ、僕はウッドが苦手なんですよ。」
「一応、ドライバーはボーナスでカスタムで組んで作ってもらったばっかりなんですけど...」

それでも一度だけ、午前中だけのドラコンホールで彼はドライバーを手にした。
...が、そのボールは酷いプッシュアウトで林の真ん中に飛んで行った(飛距離は出ていた)。
アウトは、そんな事があって37。
インに入ると、490ヤード程のロングホールで1番アイアンと4番アイアンで2オンしてイーグル。
もう一つのロングも2オンしてバーディー。
しかし、飛び過ぎの池ポチャなどがあって、インは38。
とうとう午後は一度もドライバーを手にしなかった。
コンペではグロスでは2位だったが、新ペリアではハンデホールでバーディーやらイ−グルやらで、大はずれとなり賞品はつかなかった。

「なんで1番アイアンが得意なんですか?」
「ええ...僕は前に野球やってまして...」
「25からゴルフ始めたんですけど、アイアンは棒切れの先に打つ場所が付いているだけの様な気がして、野球のバットと似た感じで振り切れるんです。」
「でも、ウッドは全然違う場所で打つような気がするのと、なんだかねじれるような気がして...全然まっすぐ飛ぶ気がしないんです。」

...判ったような判んないような...
でもヘッドスピードも十分ある彼だからこそ、1番アイアンで250ヤード以上平気で飛ばしてるんだろうなあ。
その1番アイアンを打つコツを聞いたら、「外角低めを右中間にホームラン」、そんなイメージだって言ってたっけ...


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