ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

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...懐かしい「カリフォルニアドリーミン」の歌が聞こえたような気がした。


Kさんにとって、ママス&パパスが歌った「カリフォルニアドリーミン」は「青春」の唄だった。
数十年前、多くの同時代の若者が、硬直しきった時代に「変化と革命」を望んで行動を起こした。
ビートルズがその雰囲気を飾り、ボブ・ディランやPPMやジョーン・バエズが時代を嘆き、歌っていた。

Kさんの友人も、過激に走ったり、ドロップアウトしたり...そんな方向に踏み切れない自分は、どうしようもなく取り残される感覚に焦っていた。
...そうしなければいけないのか? このままでいいのか?

そんな時に聞いた「カリフォルニアドリーミン」は、そんな自分にとって特別な歌だった。
歌詞は「こんな暗く寒い冬の日には、カリフォルニアの明るい空に憧れる..」なんて意味だったと思う。
が、Kさんにとっては、そんな歌詞の意味以上にこの曲に「青春の憧れ」そのもの...自分でも何か判らない、若い日の熱い「未来への憧れ」そのものが歌われているような気がしてしょうがなかった。
この曲を聴くたびに、いつも胸の奥に熱い「憧れ」の気持ちが湧いて来るのだ。

若い自分は、これから何にでもなれるかもしれない、が、何にもなれないかもしれない。
夢見て憧れている「何か」は、でも、きっと捉まえる事は出来ないだろう。
そんな気持ちがいっぱいになって、この明るい歌を聴くたびに泣きたい気持ちになったものだった。

あれから長い時間が経った。
人生は期待した程の事も無く、不安がっていた程の事も無く、日々流されまいという気持ちだけを残しながら余裕もなく過ぎて行った。
良くもなく悪くもないと感じていた男性と結婚し、結局普通の出来だが性格の悪くない子供に恵まれて、贅沢は出来ないがなんとか暮らせる生活を続けてきた。

そんな、午前中の家事の終わったお茶のみ時間、いつものようにテレビを見ていた。

その時、あの懐かしい「カリフォルニアドリーミン」が聞こえた気がしたのだ。
テレビには、青い海のそばの緑の美しいゴルフコースの映像が流れていた。
自分のいるところとは縁のない、違う世界なのに胸が痛くなるような感覚。
自分の世界が色褪せて行くような感覚。

いまの自分はゴルフとは全く縁のない生活なんだけど、何故ゴルフ?
夫もやらないし、周りの知り合いでもゴルフをやっている人は少ない。

...自分がゴルフを始める?

ゴルフコースが映っている間、「カリフォルニアドリーミン」は聞こえ続けていたけれど。
あの「青春の憧れ」の熱い気持ちは蘇って来たけれど。

いまの私は「こんな冬の日」なんだろうか?
あの緑濃いゴルフコースが「自分のカリフォルニア」なんだろうか?

Kさんは、もう一度ゆっくりとママス&パパスの「夢のカリフォルニア」(カリフォルニアドリーミン)を聞いてみようと思っている。

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その日、コースは空いていた。

奥さんと二人で「あーだ」「こーだ」言いながら、いろいろチェックしてプレーするにはちょうど良い進行具合だった。
前にも他の組の姿は見えず、後ろにも他の組はついて来ない。

そんな風にのんびりと試しながらラウンドしていると、あと二ホールでハーフ終了という所で後ろにカートの姿が見えた。
後ろとは2ホールくらい開いていると思ったのに、「ずいぶんプレーが速い組だなあ」なんて思って見ていると、なんとカートに乗っているのは一人だけ。
急ぐようならパスしてもらおうと思ったが、見た感じは上手くもなく、下手でもなく...ポーン、ポーンと楽しそうにショットして、のんびり回っている様子。

近づいて来ないので、そのままこちらもプレー続行。
ハーフが終わって、食事。

しばらくすると、年は70以上、やや太り気味の大きな男がニコニコしながら、白いキャップを片手にハウスに入って来た。
本当に見事に日に焼けて、顔と腕はまるでコーヒーが肌の奥から沁み出て来るような濃い色をしている。
あまりに焼け過ぎて、眼鏡をかけている以外の表情が読み取れない程。
多分入れ歯だろう、真っ白い歯が顔の中で光っている。
鼻の辺りまでは黒々と焼けているが、額から上はだんだんグラデーションがついて、ほぼ真っ白な頭頂部へと続く(見事に禿げ上がっている形の良い頭が、彼の笑顔に良く似合う)。

ニコニコとして、レストランの若い女性と楽しそうに話をしている。
慣れたその様子だと、週に一回以上このコースに来ている常連さんと見える。
きっと、いつも一人でカートに乗って、散歩代わりにラウンドしているんだろう。

奥さんと食事をしていると、さっさとカレーを食べたその男は白いキャップを被ってレストランを出て行こうとしている。
キャディーマスターに、「途中でパスさせても悪いので、午後は彼が先に出るようにしておいてください。」と言っておいたので、そうするんだろうと思って見ていた。

と、彼はレストランの出口で、キャップの上にもう一回キャップを被った...
「あれ?」と、こちら二人は目を合わせてから、もう一度彼に注目する。
暑い日の光の中に出て行く前に、彼は背中をこちらに向けて身だしなみを整えている。
そしてキャップを一度かぶり直す...「あ!」
手に持った白いキャップの下には、もう一枚白いキャップが...

驚いてもう一度しっかり見直すと、彼のキャップを脱いだ後頭部には、耳と耳を結んでくっきりと真っ黒と真っ白に分かれている。
かぶり直したキャップは、きっちりとその境界線に収まった。

「あのおじいさん、きっといつも同じあの白いキャップをかぶってゴルフしているのね」

髪のなくなった頭に、いつも同じ白いキャップをいつも同じようにかぶって、週に何回もラウンドしているからキャップの形にはっきりと日焼けの跡が残ったんだろう。
顔の側はつばがあるので、日焼けもグラデーションになってあまり不自然じゃないんだけれど、後ろ頭は白いキャップの形にくっきり、はっきりと一直線!
少し離れると、それはキャップが無くても、頭にいつも白いキャップを乗せているようにしか見えない。
(...今までに、これほどはっきりとした「後ろ頭日焼け」は見たことがない...)

...我々がスタートする頃には、彼はそのホールのグリーンで、頭に二つの白いキャップを乗せながら、楽しそうに一人でパットを打っていた。

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Mさんは、65歳になって東京に戻って来た。
30年あまり、生まれ育った東京を離れてある地方で暮らしていた。

30年あまり前にヘッドハンティングされて、幹部職員として大きな会社で働いて来たが、60で定年となり、その後引き継ぎも含めて5年程請われて嘱託として働いて来た。
しかし、出来れば70まで、という誘いは「あとは自分のやりたい事をしたいので」と断った。
...両親のために建ててあげた東京の家は、母親が亡くなってから10年の間誰も住まなくなっていた。
しかし、生まれ育った所で最後は暮らそうと、定期的に家の管理に帰って来ていたので、引っ越して来て住むには何の問題もなかった。

引っ越しの時に、古びたゴルフセットを捨てようかどうするか迷った。
ゴルフをしたのは、3回だけ。
ショートコースに2回、本当のコースには1回だけ行った。
ゴルフを教えてくれたのは、その時まで15年以上付き合って来た男。
他のどんな男より、一緒にいると楽しい男だった。

よく「クールな美人だ」とか「理知的な美人」と言われ、結婚を申し込まれた事も何度かあったけれど、その男より逢っていて楽しい男は他にはいなかった。
飾らない自分が出せたし、悩みや愚痴もよく聞いてくれた。
酒を飲んで大騒ぎもしたし、一晩中唄を歌いまくった事もあった。
そして、ゴルフも道具を揃えてくれて、半ば強引にやらされた。
元々学生時代に運動をしていたので、すぐにコツを掴みちゃんと当たるようになった。
一緒にゴルフをするのは、楽しかった。

3度目に、始めて本コースに行った後、しばらくして男と別れた。
特に何があった訳ではないけれど、楽しすぎたゴルフの後だから、何か感じたのかもしれない。
(...その男に妻子がいるのははじめから知っていた。)
電話で別れを伝え、きっぱりと分かれた。
何度か電話があったけれど、自分の気持ちは変わらなかった。
自分の人生の大事な楽しい時間を、一つ消した。

仕事は面白く、どんどん責任ある仕事を任せられることが、生き甲斐になった。
その後も、何度か結婚を申し込まれた事があったけれど、結局一人で暮らして来てしまった。

男の写真や手紙はみんな捨てたのに、たった3回しかラウンドしなかったキャディーバッグを、なんで捨てなかったのか自分でも判らない。
今度の引っ越しでも、そのキャディーバッグは何となく持って来た。
古いレディースのクラブやキャディーバッグは、男のものに比べて安っぽくて、錆びと埃と汚れで半分腐っているように見えるのに。

これからの時間、ゴルフをしてみようか...
そういう考えが、少しずつ固まって来ている。
幸い生活に心配ないし、血圧が高い以外に健康には問題ないし...明日から新しい道具を揃えて、もう一度コースのラウンドを目指してみようか。
「ゴルフは何歳で始めても、誰でも上手くなれる」「何歳で始めても、ゴルフは楽しめる」...そういう事をよく聞くし、近くに大きな練習場もある。
元々運動が好きだった自分には、死ぬときはコースの上で、なんてのも洒落てるし。

もうすっかりジジイになっただろう男の事はもういいが、男の残したゴルフの楽しみは、残りの自分の人生に大きな意味を見いだす事に役立ちそうだ。

新しいゴルフ道具を揃えたら、この化石のような道具は燃えないゴミに出してしまおう。
そうして、また新しい自分の人生を始めよう。


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Nさんは、ホームコースで今年の春、ハンデ3になった。

9月の月例だった。
スタート前にキャディーマスター室に呼ばれた。
「ご一緒に回る方がいませんので、コースの研修生と回って頂きます。」
「え? 参加者が少ないの?」

...そうじゃなかった。
前の組も、後ろの組もちゃんとフォーサムで、顔を知ったメンンバー達が楽しそうに談笑している。
自分のスタートの9時丁度の組だけが、自分一人なのだ。
...Nさんは、毎週土・日と月例のスタートは、必ず9時に決めていた。
毎週毎週コースに顔を見せるNさんは、このコースの常連として知られた存在だった。
そのために、本来は申し込む時に決められるスタート時間も、「Nさんは9時スタート」という事が黙認され、月例に出るような人達は皆それを知っていた。

要するに、9時スタートをメンバー全員に避けられた、という事だった。

Nさんの父親は、この地方で名の知れた建設会社の社長だった。
20代半ばで父親から「仕事に必要だから」と言われて、ゴルフを始めた。
それなりに評判のいいこのコースの会員権も、父親に買ってもらった。

はじめはそれほど真面目にやらなかったが、30歳を越えて父親のあとを継いで二代目社長になった頃から熱中し始めた。
仕事のプレッシャーを忘れるのに、ちょうど良い遊びでもあった。
本来運動神経は良くなかったが、毎週毎週このコースに通ううちに、ハンデは徐々に少なくなり40を過ぎてシングルになった。
シングルになると益々ゴルフが面白くなり、月例の入賞や優勝を繰り返すうちに、ほかの人に勝つ快感に病み付きになった。

...ゴルフクラブでは、年齢や職業に関係なく、ハンデが上のものが偉いとNさんは思っている。
コースで良いスコアを出した方が、やっぱりメンバーに尊敬されるし、認められるのが当然。
何度も優勝や入賞を重ね、毎週必ず週末に来るNさんには、コースの人達はみんな挨拶をするし、何度も競技で争ったメンバーは最近の調子を聞くし、顔しか知らないメンバーが「あれがハンデ3のNさんだよ」なんて自分の事を噂しているのも聞こえてくる。
自分はこのコースのVIPなんだと自覚して、悪くない思いでいた。

フロントで支配人を呼んで、何故自分の組にほかの人がいないのかを問い質した。
支配人は、言い難そうに...しかし、はっきりと言った「すみません、皆様Nさんと同じ組にしないで...9時スタートにしないで、と仰るもので」。

何故だ?
俺が何をした?

俺はルールブックはちゃんと読んで、インイチキな事はしていない。
そりゃあ、ローカルルールだって何だって、ルールで許されている事は何でもするけど。
ロストボールだって、時計を持ってちゃんと5分間探すし、他人のも5分間を計っている。
自分の持ち時間だってきっちり30秒で打つし、アンプレヤブルや暫定球の処置だって間違えないようにルールブックを見て処置する。
勿論他人がいい加減にやっていたら、ペナルティーをつけて打ち直してもらう。
遠球先打は絶対にきっちり守って、遠い人が打たない限り自分は先に打たない。

スコアには拘る。
...当たり前だ、スコアを出すために競技をしているんだから。
とりあえずはオナーを穫り続ける事に拘るし、自分のナイスショットには浮かれるし、ミスショットには不機嫌になる。
タイガーだってやっているんだから、後に残さないために喜怒哀楽は我慢しない。
そんな事が表に出るかもしれないが、大の大人が「競技」をしているんだから、勝ち負けに拘るのは当然だ。
自分よりハンデが良い者に勝った時なんて、大喜びして何が悪い。
自分よりハンデが悪い者に負けた時に、悔しがって何が悪い。

なあ、みんな俺が悪いのか?
やっぱり、俺が悪いのか?

Nさんは、しばらく月例を休んで考えている。


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Yさんは、今年で42歳になる。

「やっていても、もうとっくに引退している年なんだなあ...」
そんな事を考えると、少しは慰めになる。

Yさんは、名前も違う14歳の頃、「天才少女現る!」とか「プロよりも飛ばす中学生!」とか言われていくつかの週刊誌に載った事がある。
自分でも可愛い顔をしていると思っていたし、中学でも男子学生に人気だったし、そんな風にマスコミにも載った事で、まるで彗星のごとく表れたスター候補だと騒がれたのは嬉しかった。
当然、将来は「美人女子プロ」になって、有名になって、人気者になって、大金を稼いで...
そんな風になるのが当然の道だと、自分も周りも思っていた。

...ただ、そんな将来の夢は、本当は父親の夢だった。
小学校に入る前から、当時シングルハンデであった父親からゴルフの特訓を受けていた。
それは決して楽しいなんて言えないようなスパルタ教育で、小学校も中学もクラブ活動なんてやる事は出来なかった。
一日も欠かさない連日の素振りや打ち込みや、週2回のラウンドや、ジュニアの試合参加や合宿...
決して嫌だという訳ではなかったけれど、自分の意志で続けて来たという訳でもなかった。

それが、ある日週刊誌が取材に来てブレークした。
きっかけは前に出た試合で、「中学生なのに一緒に回った女子プロより飛んだ」という事が話題になったからだった。
スコア的には優勝争いとか言うレベルでは全然なかったが、「中学生の美少女で飛ばす」という事がマスコミの注目を浴び、「将来の美人プロ候補」となって注目を浴びた。
父親は喜んだ。
中学生だったので当然取材には父が同伴したが、自分より父親が嬉しそうだったのは感じていた。

何回かゴルフ週刊誌に載った頃、いろんな男性が自分に声をかけて来るようになった。
高校生になったあとは、学校とは関係ない芸能関係や音楽関係の、ちょっと自分とは世界が違う見映えのいい若い男性が何人も口説いて来るのは、自分が女王様になったようで気分が良かった。

ゴルフの練習はさぼるようになった。
派手で格好いい男性と付き合う事が楽しかった。

父親と喧嘩した。
でも、付き合っていた男性は「ゴルフの練習なんかしないで付き合え」と言う男ばかりだった。
やがて子供が出来た。
今となってみればお決まりのコースで、ゴルフでマスコミに騒がれなくなって子供が出来ると、男は自分に飽きて逃げて行き、自分は生活に追われて生きて行く事しかなくなった。

娘に裏切られて、失意のまま父親は病で世を去り、自分は生活に追われた。
ゴルフのおかげで注目されて、ゴルフのおかげで波乱の人生に投げ込まれたのに...20歳を過ぎたあと、クラブを握る事は2度と無かった。

...もう少し男を見る目があったなら、もう少し父親の言う事が聞けたなら、きっと自分はゴルフと楽しく付き合って行けたのに。
ゴルフで注目された自分は、ゴルフを続ける事だけで輝き続ける事が出来るのに、「ゴルフの練習なんかさぼれ」という男の軽薄さが判らなかった自分の浅はかさ。
父親の期待が父親自身の欲に見えて、嫌いに嫌った自分の浅はかさ...
とても、悔いが無いなんて言えやしない。

...しばらくして優しく平凡な男と、子連れ同士で再婚し、今は生活は落ち着いている。
今の夫は、自分にそんな過去があったなんて知らない。
自分がゴルフをしていたなんて、全然知らない。

多分、これからも自分がクラブを手にする事は二度と無い。
...最近ゴルフを始めた夫の悪戦苦闘を、ゴルフを知らないふりして...ただ笑って見てるだけ。


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Kさんは77歳。
数え年の喜寿祝いは、もう過ぎた。

40歳から始めたゴルフは、「堅物」と言われた自分に長い年月楽しめる殆ど唯一と思われる「娯楽」をもたらしてくれた。
見合いで結婚したとはいえ、「当たり」と思うしかない性格の良い女性と結婚出来て、殆ど女遊びをした事はなかった。
ギャンブルも好きになれなかったし仕事も真面目に勤めたので、ゴルフのわがままと毎日の晩酌はずっと大目に見てもらって来た。

...まだそれほどゴルフが普及してなかった時代、会社関係の付き合いで近場のコースの会員権を安く購入出来て、ゴルフに熱中出来る環境は運良く簡単に整った。
それからずっと週2回の練習と、週1回のラウンドは欠かした事がなく、打ち込んだ時間と費用の分、腕も上達した。
始めて4年でシングルハンデになり、50歳の頃には6まで行った。
しかし、5からのハンデは遠く高い壁となり、それ以上のハンデ削減はならなかった。
倶楽部の月例には、何度も優勝した。
クラチャンは、ちょっとレベルが違い過ぎて問題外だったが、理事長杯はアンダーハンデ競技なのでハンデ9の時に一度だけ優勝出来た。
シニアやグランドシニアでも優勝出来た。

そんなKさんは、自分のゴルフ歴がそろそろ終わりに近づいている事を感じている。
と同時に、自分のゴルフ人生の最後の目標、自分のゴルフのクライマックスのチャンスが近づいて来ているのも感じている。
そしてそれが達成出来れば、そこが自分のゴルフ人生の頂点、ゴルフライフの「フルコンプリート」だとも思っている。
それは、「エイジシュート」。

ホールインワンはラッキーにも2回経験出来た。
パープレーも何度か出来た。
自分がゴルフを始めた時に、達成したいと思った目標の最後の一つがエイジシュート。

なんと言っても、自分が年を取るのと、その年と同じか少ないスコアを出すのとは、微妙な年齢と時間との競争なのだ。
今のKさんにとって、最も可能性があるスコアは、80。
バーディーパットやロングパットが奇跡的に入ったとして、微かに可能性があるのは78。
...ただし条件は、「短い距離のコースで」だ。
自分のコースの「シニアティー」で、ラッキーが続いたときか、近隣のずっと短い距離のコースで「うまく行った時」なら可能性はあると思っている。

今が77歳。
80を過ぎて、自分が今より元気で腕が良くなる訳はないと思っている。
懸命に身体の状態を維持して80まで。
...だから、命がけの目標は、この3年でそれぞれ78、79、80かそれ以下のスコアを出す事。

ゴルフ人生の最後の目標に向けて、Kさんは今、試合を待つサムライの気持ちでいる。
これだけ高ぶる気持ちが嬉しい事は、しばらくなかった事。
さあ、これから3年は渾身のラウンドだ。

いざ、勝負!

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Nさんは39歳、美容師としてそれなりの自信は持っている。
24歳で一度結婚したが、33で別れた。

別れることになった理由はいろいろあった。
夫の暴力、女性関係、美容師である自分の収入への甘え...等々、穏やかな結婚生活とはほど遠い暮らしが2年程続いた後、自分が夫と暮らしたマンションを出て、別れた。

ゴルフは、夫との仲がうまくいかなくなっていた31歳で始めた。
同業の友達に勧められて始めたゴルフには、すぐに夢中になった。
もともと学生時代から球技は好きだったので、ゴルフの面白さがすぐに理解出来たからかもしれない。
夫とのうまく行かない生活も、ゴルフの練習をやっているとみんな忘れられた。
仲間との月に一度のラウンドが生き甲斐になった。

夫と最後の時、「別れてどうするんだ。俺ぐらいしかお前の相手なんかする奴はいねえだろうが!」
「ゴルフだ〜!そんな無頼な生活が続けられる訳ないだろう」
「でも、あなたといるよりゴルフをしている方がずっといい」
売り言葉に買い言葉だった。

...それから、ずっとゴルフをしている。
いくら懸命に集中してやったにしても、本当の試合に出て予選を通ったり、優勝を狙う、なんてレベルになるはずはないんだけれど、安く買ったホームコースでハンデが少なくなって行くことが、少し前迄「生き甲斐」ともなっていた。

ただ、美容師という仕事のために日曜日が休めず、ホームコースの月例に出ることが出来ない。
ハンデを縮めるためには、休みが取れる水曜日に開催される「平日杯」に出るしかない。
しかし、その平日杯は年に6回しかないために、自分の努力の結果が報われることは少なかった。

それで、2年前から楽しみの中心となっているのがオープンコンペ。
水曜開催のオープンコンペを探して、そこに一人で参加するようになってからまたゴルフの楽しみが一段と深まった。
遊びのときより緊張感があるし、スコアが良ければ結構入賞するし...優勝したことも1回ある。
女子だけ別の表彰をする所では、女子のベスグロなんていうのもとれた。
賞品も「グルメ」のときは嬉しいし、ゴルフ関係のときは中古クラブ屋に売ったりして、次のラウンド費用に出来るし。
今は、殆ど毎週いろいろなオープンコンペに参加して、いつでも女子の部のベスグロ狙い...そうなってみると、自分は別れた夫の言ったような「賞品稼ぎの無頼の人間」になって来たのかもしれない。

それに、最近オープンコンペでもう一つ楽しみが出来た。
もう3回顔を合わせた、50年配の中年の男だ。
最初は同じ組になって、その大人の紳士然としたプレーに魅了された。
腕も、ハンデ8くらいだろうか...切れのいいアイアンが格好いい。
自分のショットを良く見ていて、いいショットには小さな声で「グッドショット!」と褒めてくれた。
あと2回は別の組だったが、顔を合わせた時に挨拶してくれて少し会話が出来た。
ひげを生やした渋い男...多分同じように水曜日が休みの仕事か、あるいは時間が自由になる仕事か...
何かの縁で、もっと親しくなれればいいとは思う。
結婚したいかどうかは置いておいて、いつも一緒にゴルフを出来ればと思う。

今度申し込んだオープンコンペでも、やはり自分はその男を捜すだろう。
そんな気持ちも、自分が「無頼」の女だからなんだろうか。

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もう15年くらい前になる。
その男は「私、もうすぐ50歳になるんですよ」と、言って来た。

S県のS新聞社杯の予選。
偶々自分は朝一のティーショットがうまく行き、1番ロングをツーオン出来てバーディーと幸先良いスタートを切れた。
そのまま、何となく流れが良い方に傾いて、アウトを1オーバーでまとめることが出来た。

同伴競技者3人のうち、二人はまだ30代の陽に真っ黒に焼けたバリバリのアスリート風。
残りの一人は、小柄で細身のいかにも真面目なサラリーマン風の、でも日にはしっかり焼けている中年の男だった。

その中年の男が、昼食の時に語りかけて来た。
「競技に挑戦して5年くらいなんですが、まだ一度も予選通ったことがないんです」
「出来る限りのこと、やっているつもりなんですけど...」

いかにもゴルフ慣れしている若い二人と比べて、彼のスタイルは何となく似合っていなかった。
クラブも古いものだったし、どちらかと言うと「初心者向き」なんてタイプで、高いものではなかった。
「私、こういうスクラッチの試合の予選を通るのが夢なんですよ」
「30で始めたゴルフなんですけど、ゴルフが好きになっちゃって...」
「なんかの試合でちゃんと予選を通るまで、ほかのことは後回しにする、と決めたもんで」
「...でも、まだ一度も予選通っていないんですよ」

収入のほとんどをゴルフにつぎ込んでいるために、結婚もまだしていないと。
こういう試合の出場資格を得るためのハンデが必要なので、安い河川敷のコースの会員権を買って、シングルにはなれた...でもそのおかげで貯金もない、と。

何ともスマートではないけれど、変則スイングではあるけれど、彼のゴルフは大した破綻をすることもなくフェアウェイキープ、パーオン、ボギーオンを繰り返し、パット次第でパーかボギーとなっていく。
しかし、アプローチのミスで、ショートパットのミスで、一つ二つとオーバーが増えて行く。
飛ばない分、バーディーチャンスにつくことはあまりなく、常に拾いまくる厳しいゴルフとなっているのが判る。
そうしてハーフが終わると、やはりスコアは40前後に収まってしまう。
...80ではこういう試合は通らない。

「私は、出来る限りのことをしてるんですけれどねえ...」
試合中なので、もちろん技術的な話などしなかったけれど、彼の溜め息が心に残った。

後半崩れかかった自分は、最終ホールのバーディーで予選を通ることが出来た。
しかし、彼は81。
カットは78だった。

予選が終わった後、彼が「コーヒーでも一杯」というのに付き合った。

「今年はこの後、新聞社系の試合に二つ出るつもりです。」

「なんだかゴルフの目的が、人生の目的になっちゃったみたいで。」

「ええ、予選通るまで絶対にやめませんよ。」

「私、人生だって予選だって、絶対に白旗あげませんよ」

「予選通ったら、嫁さん見つけたいし」

「あなたのゴルフが羨ましかったんで、つい声をかけました。」

あれから15年くらい...その後すぐに競技ゴルフをやらなくなった自分は、その後彼に会うことはなかった。

しかし、今でも時々彼を思い出す。
「あなたのゴルフが羨ましかったんで...」

...彼はもう予選を通って、嫁さん見つけて、違うゴルフを楽しんでいるだろうか。

それとも...

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オープンコンペで出会ったTさんは、いかにも生活の苦労とは関係ないような、清楚な雰囲気さえ残したアラフィフと思われる年配の美しい女性だった。
オープンコンペに出るのも2度目だそうで、まだいろいろな所が慣れていないらしく、遠慮しすぎるような態度で回りに気を使っていた。

普通オープンコンペに一人で参加するような女性は、「勝ち気で男勝り」という感じの人が多く、控えめではあってもゴルフに燃えているのが判るような強そうな人が多い。
それに比べて、まるでおどおどして気弱に見える程遠慮がちにプレーする、一人参加の女性は珍しい。

何となく気になっていろいろと声をかけてみると、彼女の事情が判って来た。

Tさんは、先月から月に一回オープンコンペに出るようになったという。
「ゴルフが今の唯一の趣味ですし、本当に大好きなので月に一度はプレーをしたいんです。」
「会員権を持っていないので、なかなか一人でコースに行けませんし」
「夫は仕事関係のゴルフで忙しくて相手をしてくれません」

「それに、ゴルフ仲間と別れてしまったもので...」

それとなく聞いてみると、つい先頃までは彼女は3人のゴルフ仲間とゴルフを続けて来たという。
練習場の教室などで知り合ったゴルフ仲間で、腕も似たようなもので、この10年くらいはいつもその4人でラウンドして来たのだと。
ゴルフ以外でも、昼食を一緒にとると言って、夕方までファミリーレストランで話を弾ませたり、美術館に4人で行ったり...
ゴルフはそれぞれがいいコースや安いコースの情報を持って来て、侃々諤々の議論の後なるべく近くて安いコースを決めて、平日に4人で出かけていた。
ラウンドが終わると、皆が住む町の近所のファミレスで結構遅くまで、その日のラウンドやそれぞれの家庭の話や、近所の人の噂話で盛り上がり本当に楽しかった。
...その仲の良かった4人が別れてしまったのは、付き合い始めて10年くらい経ったからと企画した、一泊2ラウンドの旅ゴルフが原因だった。
少し遠く離れた評判のいいゴルフ場をラウンドした後、旅館に泊まり、時間を気にせずに盛り上がろう、という予定だった。
一日目、楽しいラウンドが終わった後、ゆっくり風呂に入り、旅館の豪華な夕食で「今日のラウンド」を肴に盛り上がった。
家のことを心配しなくていい、旅先の自由時間だ。
9時を回った頃、一人が「家ではいつも9時に寝て5時前に起きているから」と、「もう寝る」と言い出した...折角の旅先の自由時間、もう少し話をしようと言う3人に、その一人は「もう眠いから」と譲らなかった。
それでは、と他の場所に移って続きをしようと3人は部屋を出たが、どこも結構お金がかかるために結局しらけて部屋に戻ることになった。
一人は腹を立てて、残ったお酒をみんな飲んで、したたかに酔っぱらった。
そして朝になり、早起きする一人は4時過ぎからバタバタとし始めた。

「こんな朝早くから、バタバタすることないでしょ!」
「静かに寝させてよ!」
「夜遅くまで酔っぱらって騒いでいたのは誰よ!」
「折角旅行に来たのに、なんで一人だけ早く寝ようとするのよ!」
「そっちだって、誰よ! いびきがうるさくて寝られなかったわよ!」
「本当に! あんな大きないびき、聞いた事が無いわよ!」
「あたしじゃないわよ!」
「じゃあ、誰がかいたのよ!」
...

今までに、無かった言い合いになった。
大喧嘩にはならなかったが、みんなしら〜っと旅行気分が冷め、気まずい思いだけが残ってしまった。

その日のラウンドは、いつものような笑い声も軽口もなく、異常に静かなつまらないラウンドだった。

その旅行の後、4人でゴルフへ行くことはなくなった。
旅館での言い合いと、あのしらけたラウンドの記憶が一緒に行く気を萎えさせた。

Tさんは、3ヶ月もするとラウンドをしたくてしょうがなくなった。
が、どうしても3人に連絡を取ることが出来なかった。
...それで一人でもラウンドしようと考えたのが、オープンコンペの参加だった。
まだ2回目だけど、オープンコンペの緊張感や出会いの面白さが判りかけて来ているそうだ。

「でも、折角のゴルフ仲間、そのまま終わってしまうのはもったいないですねえ。」
「少し経ったら、電話してみたらどうですか?」

清楚な面影を残した奇麗な顔立ちのTさんは、少し顔を赤くして下を向いた。
「実はみんなが寝不足になった原因のいびきは、私なんです。」
「疲れると、大きないびきをかくと子供に言われました。」
「なんだか皆に申し訳なくて、私から連絡出来ません..」

...そうなんだ。
あんな麗人のような女性でも、大いびき....そして「いびきで消える10年越しのゴルフ友達」か...

あ〜あ、人生、みんないろいろと大変なんだなあ。

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きっかけは、自分のオーバースイングを笑われた時だった。

...Tさんは、運動は好きだったのに運動神経には自信が無かった。
小さな時から、野球でも卓球でもテニスでも、一生懸命やっているのにいつも補欠にしかなれなかった。
試合になると応援部隊の一員として、声をからして応援するしかなかった。
いつも晴れ舞台で脚光を浴びるレギュラーの仲間達が眩しくて、自分もそうなりたいと努力を惜しまなかったつもりだが、それ迄の人生で報われたことは一度もなかった。

それがゴルフを始めて、初めてそういう「レギュラー」と同じ土俵に立てたと思った。
補欠で試合に参加出来ない立場では無く、自分にも必ず出場機会が与えられる初めてのスポーツだ、と感じた。
仕事に必要で始めたゴルフに、すぐにハマった。
そして自己流で努力を重ねた結果、ほかの人達と対等の立場で話が出来る(と思っていた)「90」前後のスコアで回れるようになっていた。
自分の打順になると、気分は甲子園の打席のバッターだった。

・・・ところが、その頃から「ちょっとオーバースイングだね」と言われるようになった。
100を叩いていた頃は誰も何も言わなかったが、90を切るようになるといろいろな人が「ちょっとスイングがねえ...」と言い出した。
Tさんにとって、自己流のゴルフスイングは「十分に身体を回して、思い切り振る」つもりでいるだけなのだが、確かにトップで自分の左足のそばにクラブヘッドが見える。
スタートホールでやっている連続写真を買ってみると、クラブヘッドは殆ど地面につくくらい真下を向いている。
「80そこそこで回れるようになって、このスイングは格好悪い」...そう思ったTさんは、自分のオーバースイングを直そうとした。

左手が曲がっているからだ。
コックが遅いからだ。
腰が回り過ぎているからだ。
体重が左足に乗っているからだ。
タイミングが遅いからだ。
グリップが緩むからだ。
....

オーバースイングになる理由は沢山あるのが判った。
しかし、一つ一つ自分で直してみようと練習しても、いざボールを前にしてスイングすると...相変わらずクラブヘッドは自分の左側で地面を挿しているのが見える。
「才能が無くても努力だけは負けない」と自負するTさんは、来る日も来る日も練習場で自宅でオーバースイングを直そうとして、試行錯誤を繰り返した。

そのうちにスイングがぎこちなくなったのを感じ始めた。
そして、あるコンペのスタートホールで...スイングが出来なくなった。
左腕が地面と平行になる迄は、クラブをあげていける。
しかし、それ以上腕が上がらない。
自分でも不思議なくらいにそこで腕が動かなくなる。
無理矢理そこから腕を上げようとすると、身体がぎくしゃくして振り下ろせない。
汗だくになって、何度も腕を上げようとしたあと、Tさんはそのコンペで棄権した...

練習場ではなんとか腕が上がってボールを打つ事が出来るのだけど、コースに出るとまるで魔法にかかった様に体が動かなくなる。
思いあまって、練習場のレッスンプロに相談すると「多分スイング改造を気にするあまりに、スイングのイップスになったんでしょう」
「心の問題が大きな原因なのですぐに治る様な即効薬はありませんから、焦らずに時間をかけて治しましょう」...そう言われて、思い当たる事は多かった。

Tさんは、その後しばらくゴルフをやれなかった。
しかし、ゴルフをやりたい気持ちは強くなる一方で、なんとか普通にスイングを出来るようにイップスを治して、またラウンドしたかった。

Tさんが苦労に苦労を重ねて、なんとかコースでもスイングを出来るようになって、再びボールを打てたのは3年半後だった。
...両手を離してグリップして、野球のように打つ。
上に上げる感覚では無く、横に振る感覚。
体重移動も回転も考えない。
ボールは両足の中間に置き、左手であげて右手で引っ叩く。
こういう意識で、トップを考えずに済み、クラブを振る事が出来るようになった。

もちろん、なかなか満足するようにはボールに当たらずに飛距離も出なくなったが、とりあえずまた100を切ることが出来るようにはなった。
一緒に回る人達は一瞬ぎょっとするようだけど、ボールが前に飛べば感心してくれる。

以前のオーバースイングと言われていた時のスコアはまだ出せないが、ゴルフをまた楽しめるようになったのが今は嬉しい。
自分は「一生懸命」しか取り柄がないんだから、オーバースイングもイップスもしょうがなかった。

今のスイングはそんな自分の「精一杯」。

自分のゴルフ人生に、もう恥ずかしさも悔いも無い。

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