ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

img_0-85


Nさんは、もうすぐ50歳の誕生日を迎える。

待ちに待った、耐えに耐えた、抑えに抑えた、長い日々...でも、決して嫌でも不幸でもなかった。
むしろ、それなりに充実して面白く、感謝に溢れた日々でもあった。

26で見合いして結婚したNさんは、真面目な公務員の夫と、28で生まれた双子の息子と、31で生まれた娘の5人家族。
平の公務員だった夫の収入は決して多くなく、官舎住まいでなかったら生活は無理だったかもしれない。
まして最初の子供が双子だったために育児の負担も大きく、子供が3人になってからは無我夢中の生活が続いた。
そして、下の娘を保育園に預けることが出来た34の年から、子供の学費を貯めるためにずっとパートで働いて来た。
あまり出世しなかった夫の収入は生活するのに精一杯で、自分の楽しみを楽しむ余裕はなかった...それでも、その生活はそれなりに面白く後悔することはなかった。

ただ、Nさんはずっと思っていた。
「私の人生を楽しむのは50歳からだ。」
「50歳迄は、妻であり、母であることにすべてを集中する。」

「女は50からよ。」...これは、20歳から6年程働いた会社にいた、尊敬する女性の上司の口癖だった。
仕事をバリバリやり、エネルギッシュでありながら後輩の面倒見も良く、夫と子供の世話もちゃんとやっているというスーパーウーマンのような人だったが、何度か連れて行ってもらったバーでよくそう言っていた。
「私はね、50になったら自分のやりたいことをやるのよ。」
「そのために、今は頑張っているのよ。」

その上司が、52歳でくも膜下出血で亡くなったというのを、結婚退職後しばらくしてから聞いた。
彼女が50歳を超えて何をしようとしていたか、何を始めていたかは知らない。
でも、その言葉をNさんは、自分の人生をも示駿しているような言葉として受け止めていた。

Nさんは結婚前、ゴルフに熱中していた父親に教わってゴルフを始めていた。
練習場に一緒に行き、レッスンプロにも教わり、ラウンドは10回くらいした。
スコアは最高でも120回くらいだったけれど、面白かった。

しかし、間もなく親戚の紹介からお見合い、結婚、出産という流れが押し寄せ、ゴルフをやる時間も余裕も無くなった。
そして子供の学費稼ぎのためのパートを始め、10数年が過ぎた。

今年、下の娘が短大に入り、教育費も一段落した。
上の子もそれぞれ就職が決まった。

そしてもうすぐ、Nさんがずっと忘れないでいた「50歳からの女の人生」が始まる。

...実は、Nさんはパートの収入の一部でずっとへそくりをしていた。
計算では月1万円...1年で24万円。
15年で360万円を貯めるつもりだった。
しかし、急な出費や、やむを得ない支出、怪我や病気の出費などで、結局貯まったのは300万円を少し切るくらいの金額。

でも予定通り、これで50歳の誕生日を過ぎたら、ゴルフを始めるつもり。
夫も付き合いでゴルフをしているようだが、自分で始めるのは自分のゴルフ。
幸い、最近のゴルフは以前父とやっていた頃のような「贅沢な遊び」では無くなり、普通のコースなら「手軽な遊び」になって来た。
道具も中古クラブでかまわないし、ファッションだって贅沢をしたいと思わない。
パートも日数を減らして続け、その収入をゴルフに回せば、今なら充分にゴルフを始めて続けることが出来るだろう。

まず、練習場に行ってレッスンプロに半年くらい教わってから、コースに再デビューする。
夫と一緒にゴルフに行ってもいいし、練習場の会に入ってもいい。
腕が少し上がれば、オープンコンペに出たっていい。
すでに父が亡くなってしまったのが残念だけど、きっとゴルフを再開することを喜んでくれてるだろう。

...亡くなった先輩に言いたい。
「先輩の言ったこと、ずっと忘れずにいました。私も50歳から自分の人生を楽しみます。」

なんだか元気な最近の私に、夫も子供も不審げな顔を見せているけれど....
さあ、私の「妻」でも「母親」でもない、「私の人生」を楽しむ様を見せてあげる。

もうすぐの「50歳の誕生日」が楽しみだ。
...心配なのは、ゴルフを楽しめる程に自分の身体が動いてくれるかどうかだけ。

img_0-84


駅からちょっと離れた住宅街の奥、気分転換に散歩する道沿いの家の庭でその男を見かけた。

年は60代半ばか...と言っても、それは最初に見かけた10年以上前の話だが。

たまたま、午後3時半に通りかかったので気がついたのだが、男は毎日雨が降らない限り、3時から4時までのほぼ一時間ゴルフの練習をしていた。
最初に気がついた時には、自分の家の駐車スペースにマットを敷いて、そこに紐のついたプラスチックのボールを乗せて打っていた。
男の振っているクラブは、古いスチールシャフトのパーシモンのドライバーと、これも古いスチールシャフトのフラットバックアイアンだった。

いつも真剣に顔を真っ赤にしてボールを打っているので、立ち止まるとその練習の邪魔をするような気がして、話しかけたりは出来なかった。
スイングは、トップでシャフトがクロスし、フォローで左肘が引けて右足に体重が残ってしまう、典型的な自己流ダッファーのスイング。
しかし、同じリズムで紐のついたボールをマットにセットして、フルスイングする...それを、見事な集中力で繰り返していた。

しかし、「マットの上からプラスチックのボールを打つ」と言う動きは、静かな住宅地では意外に大きな音が響き、離れていても「あ、また彼が練習しているな」とよくわかった。
少しその道を歩かない時期が続き、しばらくの時間をおいてその道を通りかかったとき、音が違っているのに気がついた。
見ると、練習する雰囲気は同じだったが、紐のついたプラスチックボールではなく、マットにセットしたゴムティーをボールのように真剣に打っている。
その音は、以前の「ビシュッ・カツーン・カランカランカラン」から、「ビシュッ・ビチッ」となって、音が大分静かになっていた。
...紐のついたプラスチックボールが壊れたか、あるいは周囲の家から「うるさい」と言われたか..

そのゴムティーを打つ練習は、何年も続いた。
そんな単調な練習をよく毎日続けられるものだ、といつも感心していた。
一回一回、彼のスイングの真剣さは途切れない。
スイングも、初めに見かけた時と変わらない。
ただ、ゴムマットはだんだんすり切れて、緑色の部分は薄くなってきて、彼のパーシモンも遠目にも塗装が剥げて傷んで来ているのが判るようになった。
グリップも、明らかにすり減っていて、彼のグリップした形に凹んでいるようにも見えた。
アイアンも錆が目立って来た。

また時間をおいてその道を通りかかると、その練習音が聞こえなかった。
彼の練習していた家の駐車スペースの横には、以前見かけた時よりも更に擦り切れたマットと、古いクラブが2本、家の壁に立てかけてある。
「練習時間を変えたのかな?」
「それとも...」

それから半年くらいの間、通りかかるたびに見ると、マットとクラブはそのまま置いてあった。

それからまた時間が過ぎて、最近通りかかったその家には、もうマットもクラブも無くなっていた。
彼の姿も、ずっと見ていない。


今でも、散歩してその家の近くを通ると、彼の練習している音が聞こえるような気がする。



...ああ、そうだよな。
俺も、あなたぐらいに真剣に、一球一球スイングしなくちゃいけないよな。

img_0-83


ずいぶん頑張ったものだと思う。

娘一人を自分一人で育てる環境になったあと、大袈裟じゃなく普通の人の2倍働いて来た。

娘が独り立ち出来る迄。
学生から社会人になる迄。

自分で決めた事だから、弱気になる事は度々あっても、迷わずに歩いて来た。
もう無理か、と思われる時々に、思わぬ出会いで助けられた事が何度もあった。

...そうして去年、娘は大学を卒業して無事に就職出来た。
一番重かった荷物は肩から降りた。
しかし、まだマンションのローンは残っているし、自分の生活だって続けなくてはならない。
人の二倍働く事はしなくても良くなったけど、普通の人並みに働き続ける事は変わらない。
...でも、自分の楽しみのための時間を、これからは取る事が出来る。

美味しいものを食べたり、酒を飲んだり、コンサートに行ったり、少しだけ自分を飾ったり...
それと、ずっと封印していたゴルフも、また楽しむ事が出来るだろう。
ずっと以前、レッスンプロについて練習していて、ベストスコアは90を切っていたゴルフ。
もう二十年以上昔の話だけれど、そのとき使っていたクラブはまだ置いてある。
ゴルフをやるなんて余裕なんか全く無かったこの二十年、それでもクラブを処分しないで置いてあったのは、「いつかまた、ゴルフを出来るようになる時が来る」という事を信じていたからか。
あるいは、そういう時代がまた来れば良い、という願いを込めていたからか...

なんだか少し楽になった休日に、久し振りのクラブを日なたに出して磨いてみた。
パターのシャフトには、うっすらと錆が浮かび、グリップは少しカビのようなものが出て硬くなっている。
ドライバーもフェアウェイウッドも、今のものに比べればヘッドはずっと小さくて、ヘッドカバーにもうっすらと埃が積もっている。

外は冷たい風が吹いていても、窓ガラスのこちらの日なたは暖かい春になっている。
その光の中、雑巾でクラブを拭いていた。
...明るい太陽の下、濃い緑のフェアウェーで真っ白いボールを打つ。
青空に白球が1本の線を引き、明るい緑のグリーンに届く。
赤い旗をつけたピンの根元にボールは落ち、若い魅力的な自分が両手を上げて喜ぶ。
若くて奇麗だった自分...
ゴルフが好きで、一打一打に喜怒哀楽の感情が溢れ出た。
このゲームをずっと楽しみ、自分が確実に上手くなって行く事を信じていた。

窓ガラスが風に動かされる音で、気がついた。
クラブを手に持ったまま、居眠りをしていたようだ。
夢の続きを思いだそうとして、ふと鏡に映った自分に気がつく。
...時は流れたのだ。
二十年の時間は、自分の顔に、手にしたクラブにその証拠を残し、昔には戻れない事を嫌という程見せつける。

でも、全部のクラブを磨き上げたとき、自然に考えた。
...「ゴルフをまた今年から始めたい。」

「ゴルフは人生に似てる」とよく言われるけれど...もし本当にそうならば、人生を知らなかった昔の自分より、より多く人生を経験した今の自分の方が、ずっと深くゴルフを楽しめるはず。
記憶にある若い自分が遊んだゴルフより、もっともっと素晴らしい「大人のゴルフ」は、これから始められるはず。

きっと今年中に、自分はまたゴルフを再開するだろう。
勿論百なんか絶対切れない、下手くそゴルファーのはずだけど、そこには以前の何倍もゴルフを楽しむ自分がいるはずだ。
とりあえず、今のルールを勉強しよう。
二十年の時を越えられなかった、グローブやシューズや小物を揃えよう。
ウェアは...今の自分に着られるだろうか? 

焦らずに、練習を始めよう。
ちゃんとこのクラブを使えるようになろう。



...ああ、それから、涙が出るのを我慢する練習も必要かもしれない。

img_0-82

オープンコンペで出会う人には、いろいろな人が居る。
いい人、悪い人、変な人、おかしな人、珍しい人、何処にでもいる人、嫌な奴に馬鹿な奴、悲しい人に寂しい人、カラ元気屋にやせ我慢屋、もっと生きてて欲しい人、速く死んで欲しい人...

なんて、勝手な事言ってるけれど、この人はそんな人達とは全く違った...「違う人」だった。

同じ年,,,だけど、髪の毛は黒くフサフサで(染めてるんだろうけれど)、長髪に片耳ピアス、いい色に日焼けして白い歯で...
ハンサムな若さを残した中年風で、人当たりも良く、ゴルフも歯切れよくスピーディー。
腕はシングルハンデで、癖の無い良いスイングをしている。

...ラウンドしながらの彼から聞いた話。

明後日には日本を発って、ラスベガスに行く。
ラスベガスには、一流ホテルの部屋を一部屋、年間契約してとってある。
そんなホテルが、東南アジアとヨーロッパにも。
カジノが好きで、よく遊びに行く。
昨年は、半年以上かけて世界一周クルージングしていて、大震災のニュースもヨットの中で知った。
普通、一年のうち8ヶ月は外国で暮らしている。
ノートパソコン一台あれば、仕事はできる。
若い頃、他人より何倍も懸命に働いた。
その貯めたお金を元にして、今は投資家として暮らしている。
しっかり勉強して、堅実な投資で成功している。
ギャンブル性の高い、信用取り引きは一切しない。
堅実な情報を大手証券会社から得て、信用に応える用意はいつもしている。
そのために動かせる資金は、数千万以上いつも用意している。
日本にずっといないのはそういう情報を得るためもある。
ゴルフは、世界中の名コースと言われている所は殆ど回った。
奥さんには十分な額を渡しているので、それぞれ自由にやっている。
子供は既に就職しているが、自分の資産を当てにしているなら自分の言う事を訊くように言ってある。
最近、息子の付き合っていた女性が好みではなかったので、自分の資産を当てにしているなら別れろと言った。
子供はそれに従って、その女と別れた。
...

等々。

何処の世界の話だろう?
少なくとも自分の人生の、歩いて来た道の周りには、そんな人生は無かったなあ。
彼は、嫌な感じを持たせない好人物。
しかし、どこかの違う世界の住人。
一万円のプレーフィーを考える自分達とは、比べようもなく。

そういう人生を送る同い年の男もいれば、一人病院のベッドにいる同い年の男もいる。
...勝ち組と負け組では済まされない違いがある。

しかし、もう一度人生をやり直せると考えて、自分は彼のようになりたいだろうか?
彼の持っているお金は正直羨ましい。
しかし、自分の来た道を振り返ると、自分の生き方では、今の自分がベストの自分。
莫大な収入と引き換えに、絵を描き始めてからの人生を捨てる事は出来やしない。
何より出会った人達が、みな捨て難い。
良い奴も嫌な奴も捨て難い。
素晴らしい女性達は、もっと捨て難い(笑)。

まあ、金を持っていない貧乏人の、焼きもち嫉妬の類いからだろうけれど、彼に会ってそんな事まで考えた。
そうなんだ...ピンと来ないけど、凄いんだ...って。

...彼は、高そうな黒いベンツで、微笑みながら帰って行った。


img_0-81


ごめんなさい!

あんた、本当にごめんなさい。
あたし、心から謝ります。

あんたのキャディーバッグが、狭い廊下においてあるのが邪魔だからって、行き帰りに力任せに蹴っ飛ばしていたのを、謝ります。
あんたが見ていたテレビのゴルフ中継を、問答無用でチャンネルを変えてしまったのを謝ります。
あんたが読んでいたゴルフ雑誌を、ゴミの日にみんな捨ててしまったのを謝ります。

あんたが朝早く起きて、一人でゴルフへ行く用意をしているのを、「朝早くからうるさい!」って怒鳴ったのを謝ります。
あんたがゴルフ場から持って来たお土産に、一度も「ありがとう」って言わなかったのを謝ります。
あんたのゴルフウェアの洗濯を、いつも乱暴にしていたのを謝ります。

あんたが嬉しそうに持ち帰った優勝カップを、すぐに子供の砂遊びに使わせてしまったのを謝ります。
土曜.日曜にゴルフに行ったあんたを、子供と一緒に呪っていたのを謝ります。
一つ新しい道具を買う度に、一ヶ月以上悪口を言っていたのを謝ります。

庭で素振りをするあんたを、「格好悪くて見てらんない」なんて言ったのを謝ります。
「どうせ運動神経無いんだから、いい加減に諦めたら」なんて言ったのも謝ります。
「そんな金持ち気取りのジジイの遊び、あんたは身の程知らずなのよ!」なんて言ったのも謝ります。


...でも、あたしが悪いのは認めるけど、あんただって悪いと思うのよ。
だって、ゴルフがこんなに面白いものだなんて、あたしに教えてくれなかったじゃない。
自分一人で楽しんでいたんじゃない。
あたしは、ついこの前、無理矢理となりの奥さんに練習場に連れて行かれて、それで初めてゴルフを知ったんだから。
なかなか当たらなかったけど、当たったらあんなに気持ちが良いもの無かったわ。

あたし、パートに出て自分でゴルフのお金貯めるから。
それでゴルフを始めるから。
家計に負担かけないから。
家事にも手を抜かないから。


あたし、本当にあんたとゴルフに対して謝るから。

今迄本当に、本当に、ごめんなさい。




...それで、絶対あんたより上手くなってみせるから。

img_0-80

駅からNさんの家までの帰り道に、その練習場はある。
線路際の道は道路の照明が少ないために、その練習場の照明の光は特別明るく輝いて目に眩しい。
深夜11時までやっている練習場は、夜遅くであっても必ず誰かが練習をしている。

Nさんがその練習場の前の道を通り過ぎて、自分の家に帰り着くのは10時過ぎになる。
もうそんな暮らしが10年になる。

その10年前までは、Nさんもこの練習場の常連だった。
本当に「常連」という名にふさわしい存在だったと言える。
何しろ、ほぼ一週間毎日、特別な用事がある時以外はこの練習場にいた。
平日は会社が終わると、家よりもまずこの練習場に寄り、付属の喫茶店でコーヒーを飲んだり、置きっぱなしの自分のクラブで1~2時間打ったり。
必ず自分と同じような「常連」の仲間が誰かしら居たし、練習場の社長家族とも仲が良かった。
土曜、日曜は朝から一日この練習場にいる事が多かった。
常連なりに練習場からサービスしてもらう事も多かったし、沢山の顔見知りと話したり、お茶を飲んだり、あるいはビールを飲んだり...
朝9時前には練習場に出かけて、帰りは夕飯の出来る7時くらい。
それが楽しかったし、そんな時間が生き甲斐とも言えたし、家族だって面倒な自分が家にいない事を喜んでいた。
いろいろと居心地の良いサービスを受けていた代わりに、練習場が大雪で大変な時には常連のみんなと一緒に早朝から雪かきをしたり、台風の時には後始末を手伝ったり、客と経営者を越えた付き合いという感じだった。
定期的に練習場主催のコンペもやり、みんなで近所のコースの年間会員になったり、何人かの常連は一緒にあるコースのメンバーになったり...
Nさんも年間会員になったコースで、遂にシングルハンデをとって、更にゴルフに対する熱は上がる一方だった。

そんな時間がずっと続くと思っていた。
年を取っても、この練習場でひなたぼっこをしながら常連の人達とゴルフ談義に花を咲かせて、練習が終わればみんなでビールで乾杯して...そうなると思っていた。

変わったのは10年くらい前から。
ある日、常連の中でも中心だった、明るく陽気でハンデが4の人がいなくなった。
家業の建設業がうまく行かなくなって、夜逃げをしたのだと噂に聞いた。
少しずつ人が減って行った。
そして、Nさんの会社も...繊維業としては中堅の位置にあったという会社が倒産した。
円高の影響で、どんなに良いものを作ってももう売れなくなった、ということだった。

それからあと、Nさんの仕事探しが始まった。
1年かけてやっと就職出来たのは、今までの半分の給料の畑違いの会社の契約社員。
ゴルフをやる余裕は全く無くなり、練習場には行けなくなった。
同年代だった練習場の2代目社長は、「別に練習しなくていいから、気楽に遊びに来てよ」と言ってくれたけど、気持ちがそういう風には納得出来なかった。

毎日見かける練習場の風景は、見慣れた常連の姿が少なくなって来たのがわかる。
以前に比べれば半分くらいしか客は来ていないようだけど、若い二人連れや、夫婦や、仲間と来ている若者の姿が多く見られるようになった。
経営者も、今は3代目の若い人が中心になっているらしい。

しばらく練習場に預けていたバッグも、2年程してから家に持って帰ったまま、物置に置いてある。
もうクラブにも、何年触ってないんだろう。

自分の人生はいつもの帰り道の、照明の少ない道路のようだ。
あの明るく輝く不夜城のような練習場は、自分の人生が再び明るくなった時に、やっと再び入場することが出来る夢の城のように思える。
ゴルフをやめたつもりは、ないんだし。

...今はまだ、あの光輝く城には近づけない。


img_0-79



なんとか就職できた。

小さな会社だけど、安い給料ではあるけれど、やっと社会人として歩き出せる。

狭いマンションの部屋には、宅急便の配送カバーの中に入れたままのキャディーバッグが立てかけてある。
一つの夢は破れて、一つの夢が始まる。
実家を遠く離れての社会人生活は、全く新しい生活。
今現在、そこに「ゴルフ」はない。

中学時代に、父に連れられて行った練習場。
そこでレッスンプロに才能を見いだされて、本格的にゴルフを始めた。
高校時代には、地方の小さな試合だけれど、上位入賞を続け優勝も何度かした。
期待されて、ゴルフで大学に推薦入学した。

そうしてゴルフを続けるために、普通の会社員だった父は、自分のゴルフをやめて会員権を売り、車も手放して全面的に協力してくれた。
私の試合の結果に、家族で一喜一憂してくれた。
当然、将来はプロになって父が自分にかけてくれたものを、倍にして返してあげるつもりだった。

大学のゴルフ部で活躍し、プロになる...つもりだった。
しかし、甘くはなかった。
同じゴルフ部のほとんどの人は、普通の家庭よりずっと裕福な人が多く、練習したければ強くなりたければ、余計に金のかかる世界だった。
奨学金と実家からの仕送りだけでは、とても試合のレギュラーになるための練習代にも足りなかった。
勿論バイトもして、出来る限りの努力はしたつもりだったけど...とうとう大学でレギュラーにはなれなかった。
スコア的には上位の力はあったと思うが、アマチュアの試合に多い「マッチプレー」に弱かった。
「ここ一番」の勝負には殆ど勝てなかった。
マッチプレーの、「相手の弱みをとことん突く」とか、「溺れかけた人間を更に上から押しつぶす」...そういう気持ちになれなかった。
...「相手の不運を願い、喜ぶ」勝負に徹しきれなかった。
アマチュアの試合でそうなんだから、自分はとてもプロではやって行けないと早い段階で自覚するより無かった。
ゴルフには、辛さの方が大きくなって、少しも楽しめなくなっていった。
父にそんな事情を報告し、3年でゴルフ部をやめると言った時には、「お前に悔いが無ければ、それでいいんだ」と言ってくれた。

大学3年から必死で就職活動をして、故郷から遠く離れた東京で、やっと小さな会社に就職出来た。
ゴルフする余裕はもう無いだろうと、ゴルフの道具は全て実家に置いて来た東京だった。



...ある日、宅急便で自分のゴルフバッグと靴や服が送られて来た。
バッグのポケットには、「社会人になれば、そのうちにする機会もあるだろう」と父の字で書いてある手紙が入っていた。

まだまだ仕事にも東京暮らしにも慣れて無いし、ゴルフをする気持ちには全くなれない。
今はまだゴルフは「楽しい」よりも、「辛い」という気持ちの方が大きい。
キャディーバッグは送られて来た時のまま、部屋の隅に立てかけてある。

そういえば...卒業して東京に来た後、母から「お父さん、久し振りにゴルフをしに行ったのよ」と聞いた。

あと5年もしたら、自分もまたゴルフをしたくなるかもしれない。
そうしたら、父と一緒にラウンドを楽しめるかもしれない。

そうしたら、
そのスタートホールのティーグランドで、改めて「父さん、どうもありがとう」って言うつもりだ。




...きっと父は、そのティーショットをミスするはずだ。

img_0-78



オープンコンペに参加すると、本当にいろいろなゴルファーに会える。

そのほとんどは、限られた時間と収入を涙ぐましい程にやりくりして、好きなゴルフを楽しもうとしている素晴らしいゴルファー達なんだけど...

たまには、「なんでこの人はゴルフやっているんだろう?」なんていう、酷いゴルファーも居る。
そんなゴルファーは、多分誰からも相手にされなくなって、最後の手段としてオープンコンペに参加しているんだと思う...運悪く一緒の組になったゴルファーにとっては、堪ったもんじゃないんだが。

しかし、時には「???、なに、この人?」なんていう人に会ったりするから...ゴルフって奴は面白い。
この前一緒になった人も、そういう「変」な人だった。
年は60代半ばから70代。
使っている道具は、一つか二つ前のクラブで別に変わってはいない。
服装も当たり前だし、スイングは自己流で固めたスイングだが、特別酷いミスをする訳でもない。

ただ、全部のショットがすくい打ちで、そのままだと飛ばないし上がりすぎるので、トップ気味に打つことを長くやり続けて来たんだろう。
ドライバーもアイアンも低い球でスライス、大きく曲がる球では無く、安全だが飛ばない。
プレーぶりは、やはりベテランらしく遅くもなく淡々と回る。

しかし、驚いたのが3ホール目。
セカンドを左足下がりから打ったが、すくい打ちのために本物のトップボールとなってフェアウェイ右のラフに。
確かにそこら辺に飛んだのは見えたのだが、他の3人も加わって探したがボールが見つからない。
それほど厳しいルールのコンペでもないので、「その辺にドロップして、前進4打で打った方がいいですよ」とほかの人が言うと、「私、ボールが無いのでこのホールギブアップして、3倍打つけます」。

「あ、ボール、バッグからとってあげますよ。」
「いいえ、キャディバッグの中、ボール無いんです。」
「え?」
「ボール一個しかないんで」

え?
ゴルフするのに、ボール一個しか持って来ないの?
他の3人は、顔を合わせて...

3人がアプローチとパットする間、その人は反対側にある池の周りのラフに降りて行った。
パットを打っている間、「ガサゴソ」「バキバキ」「ドシャビチャ」といろんな音がする。
パットを打ち終わってピンを立てていると、その人はズボンと両手と靴を泥だらけにしながら、泥まみれのボールを2個持って来た。

次のホールから、またその前と同じようなプレーを続け、午前のハーフを終わった。
昼食の時に、「いつもボール一個しか持って来ないんですか?」と訊かれても、「いや・・まあ・・」と言葉を濁すだけ。

午後のハーフ、やはり4ホール目で池に入れて、彼のボールは無くなった。
その池のボールはみんな岸から離れたところに沈んでいて、回収は出来そうになかった。
また、「3倍スコアでいいです」とギブアップした彼は、周りを見渡してボールを探そうとするが、あいにくボールが落ちていそうな場所はなかった。
たまりかねてというか、しょうがないというか、他の3人が「これ使ったボールですが」とか「これは私は使いませんので」とか「どうぞ」とか言って、彼にボールをあげることに。

その後はボールをなくすことも無く、むしろロストボールを更に拾って増やしたりしながら、彼は18ホールを回り終えた。

何の仕事をしているとか、あまり個人的なことは話さなかったが...先週もオープンコンペに出たし、来週もまた、どこかのオープンコンペに出るそうだ。

まあ、次はボールが5つくらいに増えたことだし、ギブアップしたり同伴競技者から分けてもらったりはしなくて済みそうだけど...

ねえ、不思議なお方、長そうなゴルフ歴なのに、いつもこうしてボールは自給自足してやって来たのかい?
...毎週ゴルフやってるなら、せめてロストボールくらい買って来た方が良いと思うんだけど。

img_0-75


Tさんは、9月から11月にかけては、毎週末ホームコースである栃木の奥の方のコースに通う。

特に競技に出るとか言う訳ではなく、メンバータイムを利用してのんびりラウンドする。

Tさんの本当の目的は、きのこ。
主にハツタケが目的だが、シメジ類が採れる事もある。

このハツタケというキノコは、十数年程前に一緒に回った地元のメンバーに教えてもらうまでは知らなかった。
その人はコースの近くで農業をやってるとの事だったが、ショットを曲げて林に入れると林に入ったまましばらく出て来ない。
「出しまーす!」と声とともにボールをフェアウェイに戻して、林から出て来る時には手に一杯のキノコを持っていた。
「これで今夜のごちそうが出来た」と笑っている。
林に入らなくても、ホール脇の木の下にキノコを見つけては「あった、あった」と嬉しそうに笑う。

「あの、そんなフェアウェイ横のところのキノコなんて、農薬が一杯かかっているんじゃないですか?」
「ああ、大丈夫だよ。」
「ゴルフ場で使っている農薬なんて、基準が厳しいんだから大した事ないんだよ」
「俺んちでやっている野菜なんか、ここの30倍もの農薬使っているんだから」
「あんた達が食べている野菜は、このキノコよりずっと農薬かぶってるんだよ」

「だから俺んちじゃあ、自分で食べる野菜は庭で別に作っているんだ」

...(ホントかよ)...Tさんは、絶句して何も言えなかった。

...しかし
「そのキノコは、どうやって食べると美味しいんですか?」
「これは汁にすると実に上手い出汁が出るんだ」
「だから、味噌汁にしたり、鍋にしたり...旨いぞお」

その地味で肉厚なキノコは、そこら中に生えていそうで、コースでよく見かけた記憶があった。
それから、その日一日
「これですか?」
「違う! そんなの食べたら死ぬぞ」
「あ、これだ!」
「違うよ! そんなのは何の味も無いよ」
「じゃあ、これは?」
「それも違う! よく見なよ」

...わからなかった。
彼の採ったキノコと同じに見える奴を必死に探すのだが、全部違うと言う。
「そんなに簡単に見つかったら、みんなすぐ穫っちまうだろよ」
そりゃ、そうだろうけど...
目を皿のようにして探して、「これは!」と思うのだが、どれも違うらしい。

その日のゴルフは、殆ど覚えていない。
集中力はキノコの方に行ってしまった。

しかし、彼に分けてもらった数本のハツタケで作ったキノコ汁は旨かった。

それからは秋になる度に、ゴルフとキノコの両方を楽しむためにこのコースに通っている。
なんとかハツタケが判り、とれる場所も覚えるまでには2年かかった。
元々、キノコなんて店で買う以外に考えた事も無かったのだが、ゴルフの後で自分で採ったキノコで作る汁物の美味さは、彼のゴルフと一体になった楽しみになった。

ただ穫るならキノコ狩りに(ツアーもある)参加すれば良いのだが、Tさんの楽しみは「ゴルフをしながら」というところにツボがある。
ゴルフとキノコがセットだから楽しいのだ。
もうそろそろキノコも終わりだが、今年も十分楽しんだ。
また、来年が楽しみだ。

...そうそう、もうひとつ。
Tさんは、あの十数年前から、野菜は「有機野菜」しか買っていない。

img_0-74


T県のゴルフ場の、「シニア&レディース」オープンコンペでその夫婦と一緒になった。

50歳からの出場条件で、その夫婦は50代半ば、もう一人は50歳になったばかりの一人参加の男性。

その夫婦の夫は...うるさいゴルファーだった。
何もかものプレーに、大袈裟すぎる反応を示す。
打つ前に、不安を言い、希望を言い、先に言い訳を言い、打った瞬間に気合いを入れたり悲鳴を上げたり、打ち終わってすぐに愚痴を言い、言い訳を言い、反省し、後悔し、自分を鼓舞し、納得する。
ナイスショットには小躍りして喜び、ミスショットには世界の終わりのように打ちひしがれる。

喜怒哀楽が激しく、我々がミスショットすれば大袈裟に同情し(かえってこちらが傷つく)、ナイスショットをすればこれまた大袈裟に褒めてくれる。

決して嫌な感じではないのだが、付き合うとこちらのゴルフが普段の倍疲れるような感じ...

ただ一つ、聞いていて嫌なのが奥さんを教え、叱り、罵倒する事。
そのほとんどが、我々同伴競技者に迷惑がかかるから、という理由なのだが。

しかし、奥さんは微笑みを浮かべながら、決して反抗しようとせずに、「はい」「はい」と彼の言葉に従う。
いくら夫に怒られても、ゴルフを楽しそうにする様子は変わらない。

なんだかこの夫婦のゴルフに圧倒されてハーフが終わった時に、奥さんが「いろいろとご迷惑をかけて申し訳ありません」と言って来た。
「いやあ、そんな事ありません」と答えながら、つい「たまにはご主人に腹が立ちませんか? あんなに言われて」なんて言ってしまった。
「ああ、そんなこと全然ありませんよ。」
「私、気にしてませんし、嬉しいくらいですから。」

その後、プレー終了後のパーティーの待ち時間まで彼女と話す機会は無かったが、午後のハーフのプレーも同じように進んだ。
夫は、一打一打に喜怒哀楽を露にして、疲れ知らずのようにテンションは下がらない。
奥さんもそれなりのプレーを楽しんでいる様子が見える。

...パーティーの待ち時間が1時間程あったために、その奥さんの話を聞く事が出来た。

「私がゴルフを始める前には、離婚を考えていたんですよ」
「うちの人は、家では殆ど喋らなかったんです」
「一日に話すのは「お茶」とか「飯」とか「おい」とかくらいで、夫婦の会話は殆どありませんでした」
「仕事が忙しいのは分けるけど、家では疲れて寝るだけで、殆ど感情を表す事もなくて...」
「こんな感情の乏しい人と、これからずっと一緒にはやって行けない、と覚悟しました」
「離婚を切り出した時に、彼がゴルフを一緒にやらないか、と言って来たんです」

近所の練習場で、夫に教わりながらゴルフを始めた。
すると、ゴルフの事になると信じられないくらい饒舌になる夫に、本当に驚いたそうだ。
「最初に練習場でゴルフを教えてくれたときの言葉数だけで、それまでの結婚生活中の言葉の数より多かったんですよ。」
「始めて一緒にゴルフ場に行った時、こんなにうちの人って感情が一杯あったんだ...って本当に驚きました。」
「ゴルフ場であんなにいろいろな表情をして、怒ったり笑ったり、泣き言を言ったり、愚痴を言ったり...」
「うちでは口数が少ない代わりに、泣き言も愚痴も言いませんでしたから、まるで知らない人を見るようでした。」

「おかげで、離婚するつもりはなくなりました。」
「彼と生きるのが面白くなったんですよ」
「彼も、ほっとしているみたいです」
「私を怒るのも、私が皆さんに迷惑をかけているからですから、私が悪いんですし」

あの男が家では感情を殆ど表さず、殆ど話さず、奥さんと会話の無い生活をしていた、なんて...
「奥さんがゴルフを始めたあと、旦那さんは家で話をする事が多くなったんですか?」
「いいえ、あの人がああなるのはゴルフ場にいるときだけです」

「旦那さん、お仕事は何を?」

「あの、...警察官です」

↑このページのトップヘ