ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

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始めた当初はこの数字じゃあなかったんだそうだ。

かなり前に、あるオープンコンペで一緒になったSさんは75歳。
未だクラブハンデは13を維持しているんだそうだ。
一番やっていた時でも「やっとシングル程度でした。」

昼食をとっている時に、スコアカードの表紙のところに「657」という数字を書いているのに気がついた。
その数字の意味を訪ねた時にSさんが言ったのが「あと二つなんですよ。」
「あとふたつ」の意味が分かったのは、風呂場でその会話の続きをしたとき。
「関東地方のゴルフ場の数です。」
「ここが657番目で、あと回ってないのは2コースだけになりました。」

...60歳で退職をした時に,好きなゴルフをするにも何か目標が欲しいと考えたんだそうだ。
「競技でいい成績というのも私には無理と判ってたし...」
「ただ目的も無くゴルフをするのも非常にもったいないし...」
「それで,関東地方のゴルフコースを全部回ってみようと思い立ったんです。」

...15年で657コース。
恵まれた健康と財力がなければ、普通の人にはまず不可能な数字。
それに、たとえ財力と健康に自信があったとしても、ずっと気持ちが切れずに続くだろうか?
「全コース」と言うからには、ショートコースを除いた18ホール未満のコースだって含まれる...9ホールのコースや、12ホールのコースも回るということ。

普通の人がこれをやろうとすると、まずぶつかる壁が「名門コースのプレー」。
名門とか超名門と言われるコースを回るためには、紹介あるいは同伴してくれるメンバーがいなくてはダメだし、誰か一緒にプレーしてくれる人だって必要になる。
Sさんは、多分そうした人脈には恵まれた立場の人だったんだろう。

それに、評判の良いコースや近いコースならまだいい。
そういう名門コースを回る間に、荒れた河川敷のコースや荒れた倒産間近のコースを回ったり、とんでもなく遠いコースや、アップダウンが半端じゃないコースも回る訳だ。
冬の寒さや夏の暑さだって関係なく回らなければそれだけの数をこなせないし、体調が悪い時だってあるだろう...それを平均して週1は最低回る生活を15年続けて来た結果が(途中で新設コースが増えて数字も多くなったんだって)657コース制覇。

今頃はとっくに659コース全部回り終えているんだろうけれど、まだまだ元気そうだったから新しく「本州全コース制覇」なんて目標でも作って元気にラウンドしているんだろうと思う。

ただ、最近は倒産してしまうコースも多くなって来ているので、これ迄とは違う「時間との戦い」も加わって、目標達成はより難しくなって行くだろうなあ...
 


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1日2千円か...
それで生活しないといけない。

会社が傾いたために、早期退職に応じて転職した夫の収入は半分近くになってしまった。
その給料は、家のローンと保険や年金や税金、電気、ガス、水道、それにケイタイの電話代、少なくなったとはいえ子供のためのお金で殆ど全部消えてしまう。
かろうじて残った2万円弱のお金が夫の小遣いとなる。

それに私のパート代が月に6万円。
それが生活費。
単純計算で1日2千円。

とてもゴルフに行くお金は出ないなあ...

昨年の後半は、夫は少ない小遣いをパチンコで増やして、月に1回か2回ゴルフに行ってたようだけど、一度小遣いを全て擦ってしまってからそれもやらなくなったようだ。
もう2ヶ月ゴルフに行ってないけれど、少しずつお金を貯めてはいる。
5千円程で一週間分のおかずを買い込み、全然お金を使わない日を作ると月に1万円程が貯まる計算だ。
これなら2ヶ月に一回、遠いコースの昼食付き5000円以下の所とか、早朝や薄暮の割引プランで二人でラウンド出来る。
夫も、自分の小遣いから、少しずつ溜めてゴルフに行く気でいるし。

夫と、「この暮らしって生活保護の金をもらっている人達より少ない収入で暮らしてるんだよなあ...」なんて言い合って笑っているけれど、真面目に働いてこんな暮らしなんて絶対おかしいと思う。
周りを見ても、以前のゴルフ仲間で昔と同じようなペースでゴルフに行っている人は3分の1くらいになってしまった。
半分以上の人達はパートやバイトや、資格を取って働いたりでゴルフをする時間がなくなったと言っている。
その働いたお金は、ゴルフではなく生活のために使っていると言うし...

いつまでこんな時代が続くのかなあ。
もし学費にお金がかかる子供がいたら、もう生活が行き詰まっていたかもしれない...こんな時代に若い人が子供を産まなくなっているのはよくわかる。
それでも、夫と「またゴルフに行きたいね」ってよく話す。
晴れた日にゴルフを思いっきり楽しめる日が来たらこんな苦労も報われるし、こんなことが笑い話になるのになあ...

1日2千円以下で...そうして、もう少しお金が貯まったら夫とゴルフに行ける。
2ヶ月に一度の楽しみが、きっと生きて行く元気と希望を与えてくれる...上手くなることはないだろうけれど、その一打一打の楽しみは以前よりずっと深くなっているように思うなあ...

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「もうシニアパブに出られる年齢なのか...」
Kさんは最近、そんな風に考える事が多くなった。

大都市近郊の土地持ちの家に生まれたおかげで、ずっと今まで生活の心配なんてした事もなかった。
いくつかのアパートを持ち、親の代からその家賃収入と地代の収入で、生活は十分やって行けた。

そして大学を出てから、貸した土地に建てられたゴルフ練習場に出入りするようになって、ゴルフにハマった。
面白かった。
裕福な家に生まれて苦労も知らなかったから、どうも運動部のがつがつした感じが苦手で、あまり運動はしていなかった。
でもゴルフを始めてみると、やればやるだけ上達するのが面白くて、毎日練習場で練習するようになった。
仕事は親を継いで大家としての仕事をやっていればよく、時間も金も十分あった。
親から名門のコースを受け継ぎ、新設のいいコースにも2つばかり入会して競技ゴルフに目覚めた。
...シングル入りしてからはますますゴルフに熱中して、「そろそろ結婚したらどうだ」なんて言う親の声も全く耳に入らなかった。
やがてハンデも5下になり、クラブ競技の入賞の常連になり、クラブ対抗の代表選手にも毎年選ばれるようになった。
面白かった。
毎日毎日ゴルフが中心の生活で、楽しくてしょうがない生活が続いた。
腕は確実に上がり、いくつかの名誉も得る事が出来た。
生活のこまごまとした事は母親に任せきりだった...何時しか親も結婚の事は言わなくなった。
...その母親が2年前に亡くなった。
そうか...もう、シニアパブに出られる年齢なのか..。

同じ年代の男達は、孫の話をする事が多くなった。
自分がゴルフしかしてなかった時に、彼らは結婚し、子供を育て、その子供が結婚し、孫が生まれ...
自分は、その間に恵まれた環境に浸かってゴルフをしているだけだった。
...自分はひょっとして取り返しのつかない、無駄な人生を歩んでしまったんじゃないか?
ただ、人生を浪費してしまっただけなんじゃないか?


...いや、今は夜だからそんな事を考えるんだ。

明日の朝になったら、またきっと次にプレーするコースの攻略法と、もっと飛ばすために仕入れたニュードライバーの事で頭がいっぱいになって、自分の選んだ生き方を後悔する暇なんて絶対にないはずだ。
また次のゴルフだって、絶対に孫の事話すより面白くなるに決まっている。

過ぎた日はもう帰らないんだし。


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Sさんは、20年くらい前からゴルフを始めた。
なんだかチャラチャラしているように見えたし、金もかかりそうだったし、周りにもあまりやっている人の話を聞かなかったから、30半ばを過ぎるまでゴルフには縁がないと思ていた。

それが、勤め先の会社の人事異動に伴って、仕事でゴルフをすることが必要になってしまった。
今まで縁がなかった「接待ゴルフ」っていう奴だ。
...仕事に関係しているんだから、無様な姿をさらすわけにもいかない...あわてて近くの練習場のプロのレッスンを受けて、必死に練習した。
ところが、ゴルフって奴は簡単に上達するもんじゃなかった。
それに、レッスンプロの感覚的な言い回しが今ひとつ理解出来なかったし、体の動きも納得出来ない事が多かった。

元々が理数系の出身のSさんは、ゴルフスイングを科学的・合理的な理屈から理解しようと、本屋に行ってレッスン書やゴルフ雑誌...週刊誌、月刊誌、季刊誌、を買い集めて勉強を始めた。
練習場に行かない時には、夜遅くまでそんな本を読みあさった。

その結果、一年もせずに100を切るところまでは上達できた。
...が、そこからが難しかった。
上手く行けば90を切るかどうか、失敗すると100を越えるか、という状態が10年以上続いた。
その間も、ゴルフ雑誌のレッスン記事は欠かさず読んで勉強し、練習し、実戦した。
それでもやっぱり、うまくいったり、いかなかったり...
でも、仕事と言う面では努力が報われて、接待ゴルフはほとんど失敗なくやり通すことが出来た。
90から100くらいのスコアが、どんな相手に接待してもされても無難なところだったらしい。

Sさんは、ゴルフ雑誌のレッスン記事が役に立ったと思っている。
バンカーも、アプローチも、パットも、みんな上手くいかない時に読んだレッスン記事に助けられた。
(ただ、一つ上手くいくと一つ違う問題が出て来て、読み重ねたレッスン記事が自分の力の蓄積になっていないのが不思議だ)
だから、どの本にも自分を助けてくれた「ゴルフの真理」が載っているような気がして、雑誌を捨てられない。

はじめは部屋や廊下に積んでいたが、奥さんに「邪魔だから捨てる」とさんざん文句を言われた。
それで、狭い庭に一寸大きな物置を買って、そこに読んだ雑誌を置いてある。
ほぼ20年分、一冊も欠けてはいないはずだ。
だが心配なのは、もうそろそろこの物置が一杯になりそうなこと。
他にもう一つ物置を建てるような場所はないし、そうなったらどうしよう...

古い本から処分するしかないんだろうか...それとも...

今では年に数回しかゴルフに行けないけれど、これからの時間古い雑誌を読み返して楽しむのも「自分のゴルフライフ」だと、Sさんは思っているんだけど。

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Sさんは、荷物カゴにクラブケースをまっすぐ立てて、自転車で細い道を疾走する。
自転車はいわゆるババチャリ(ママチャリともいう)で、前後に荷台をつけてかなり年季の入ったもの。
その自転車でゴルフ練習場までの、約5キロを疾走する。

以前は歩いても行けるくらい近くに練習場があった。
子育てが一段落したSさんは、夫の勧めもあってそこの練習場のゴルフ教室に入った。
興味はあっても一生ゴルフなんてものとは縁がないと思っていたSさんだが、始めてみると...実に面白かった!
運動なんて高校のクラブ活動以来だったけれど、結構当たるしよく飛んだ。
同じ教室の同年代の女性達とも親しくなり、月に一度くらい安い河川敷に行くのが楽しみになった。
3年程続けた後,その人達とサークルを作り,年に4回程コンペもやるようになった。
自分のスコアも100を切ってたまに90も切れるくらいに上達した。
もう、ゴルフは自分の人生の生き甲斐と呼べるくらいのものになった。

...そこで、事件が起こった。
その自宅近くの練習場が閉鎖したのだ。
元々住宅地の中の練習場で狭かったために、5キロ程離れたところに出来た広い敷地の練習場に客を取られた結果だった。
やむを得ず、サークルのみんなはそっちの練習場に居場所を移した。
サークルごと練習場を移ったと言っても良いくらい...サークルのコンペの話し合いも連絡もそのコースを中心に動くようになった。
...でも、Sさんは車の免許を持っていなかったために、しばらく迷っていた。
コースに行く時にはサークルの誰かに頼んでいたんだけれど,練習日ごとに頼むのは気が引けたから。
それでも、しばらくゴルフをやらないでいると、日々の生活が我慢出来ない程ストレスがたまって来た。
「よし!」
「5キロくらい自転車で行く!」と決めた。
大きなキャディーバッグはもちろん自転車で持っていけないから、練習用の小さなバッグを買って自転車の荷台に載せて...

練習場に行って週一回の練習と、サークル仲間のオバサン達との楽しいゴルフ談義をしてみると、家に居た切りの時よりずっと生活が充実して来ると感じる。
でも、週一回自転車でバッグを積んで5キロの道を疾走するのは、それはそれで結構大変だった。
はじめは普通に前の荷台に斜めに積んでいたので、道ばたの電信柱にバッグがぶつかって転倒したのが一回,横に積んで走っていてバッグが車に接触して「あわや!」になったのが一回...
背中にバッグを斜めにかけても運転してみたけど、これはこれでなんでもない時に転びそうになってやめ。
子供用の椅子をハンドル手前に取り付けても見たが、これにバッグを乗せるとハンドルが切れなくなって怖い思いをしたのでやめ。
さすがに積み方をいろいろと考えて、自転車屋のおじさんに前のかごとハンドルでまっすぐにバッグを立てて固定出来るようにしてもらった。
これで大丈夫。
見た目はとても変だし、ちょっと人目につき過ぎるかもしれないけど、上に飛び出た枝にでもぶつからなければ運転には問題は無い。
むしろ、車からは目立って安全かもしれない。

オバサンは、ゴルフを楽しむために週一回、5キロの裏道を疾走する。

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オープンコンペに一人で参加していると、本当にいろいろな人に会える。
中には「え? そんな仕事をしているんですか?」なんて人も少なからずいて、これがオープンコンペ参加の大きな理由の一つになっているほど面白い。

ちょっと前のT県のPカントリークラブのオープンコンペ。
一緒になった人の中に、年は40前くらいで一目見ただけで体つきが普通の男とは違う「典型的アスリート体型」の男がいた。
半袖から出る腕はそこそこ太く、ボディービルダーとは違う「実戦で鍛え上げられた筋肉」というイメージの逞しい腕をしている。
特に半袖シャツの上からも広背筋が非常に発達しているのが判る...腹回りに至っては、俺の半分くらいしかない。
それなのに足の筋肉はズボンを破りそうなくらい発達している。

ゴルフには非常に誠実に取り組んでいるようで、一球一球のプレーに真剣さが溢れ出る。
...がしかし、ゴルフの腕はアベレージの上クラス、といったところ。
鍛えられた筋肉を生かしきれていない、というか...ゴルフの動きになっていない。
なまじ筋力があるせいか、テークバックでほとんど肩を回さず、腕だけで左手を90度曲げて担ぐだけ。
それでも、瞬発力があるために普通の人より飛ぶんだけれど、とんでもなく曲がる球も出る。

...曲がったボールのところに行くスピードは速く、動きは俊敏で軽い。

その常人ならざる動きと身体に、他の同伴競技者と「あの人は何のスポーツやってるんでしょうねえ?」
「ボクシングかレスリングみたいな格闘技じゃないですか」「いや、身が軽いからサッカーとかバドミントンとか..」「ボディビルってことはないから、ダンスとか俳優とか...」
なんて、職業予想が始まってしまった。

昼食の時に、ゆっくり自己紹介し合ったところ、なんと彼の職業は「消防官」。
それも、とあるレスキュー隊の隊長さんであることが判った。
(後日、ある事故のニュースの映像で、活躍する彼の姿を見ることが出来た)

...そりゃあ、体が違う訳だ...彼は人命救助のためにトレーニングを続け、自分の体を毎日いじめ抜いて鍛え上げているのだから。
壁を登り、地を這い、人を担いで足場の悪いところを走り抜いたり、自分の命を賭けて火炎の中に飛び込んだり...彼から出ている強烈なエネルギーみたいなものの正体を、それでやっと理解することが出来た。

そうした彼にとって、不規則にしか取れない休日にするゴルフは、本当にリラックスして熱中できる趣味なんだと言う。
でも不規則な休みのために普通に4人で予約してのラウンド予定は出来ず、空いていれば前日に申し込んで独りでも参加できる、こうしたオープンコンペに出るのが唯一の楽しみなんだと言う。
あまり練習する時間もないので自己流なんだけど、「ゴルフは大好きです!」と。

結局彼は90くらい叩いたけれど、実に楽しげにプレーを続け、そのきびきびとした態度は終日変わらなかった。

「僕は今の仕事が好きで生き甲斐なんですけれど、上からそろそろ現場を離れて役職に就いてくれ、ってうるさく言われているんです」
「年齢が高くなっても、現場の仕事を続けたいんですが...」
ぽつりぽつりと、彼が言っていた。

後日、彼にメールでスイングのことを聞かれた時に、「左腕を曲げるだけのバックスイングだから、左腕をのばして肩をもう少し回す意識を持つだけで40ヤードは飛ぶようになりますよ。」と伝えた。

「今はまだ飛ぶ方向が安定しませんが、飛距離は凄く出るようになりました。」
少し経ってそういう返事が来た。

あれからしばらくの時間が過ぎて思っている...彼は相変わらず体を鍛え続けて、現場を走り回っているんだろうか?
それともデスクワークをしながら、窓から空を見上げているんだろうか?
...そして、オープンコンペにはまだ参加しているんだろうか?

爽やかな好漢は、ゴルフの腕を上げただろうか?

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タイガー・ウッズって嫌いだった。
特にあの、これ見よがしの大げさなガッツポーズが大嫌いだった。
上手く行ったからってあの大騒ぎはゴルフじゃない、って思ってた。

夫に誘われて始めたゴルフも、もう20年位になる。
夫は二つのコースのシングルハンデで、ゴルフのマナーに厳しくてコースの競技委員なんてものもやっていた。
子育てが一段落した頃に私がゴルフに誘われたのも、いつも休日にはいない罪滅ぼしのためだと思うけれど、やってみたら私は私で熱中してしまったんだから結果として感謝している。
この数年は夫も競技には出なくなり、私と二人で回った事のないコースに遊びに行く事が多くなっていた。

その夫が定年まで後一年という時に、ガンになりあっという間に逝ってしまった。

生活は何とかなったけど、ゴルフは2年近くする気にならなかった。
でも、ゴルフ練習場で知り合った友達に何度も誘われているうちに、またゴルフを再開してみようか、という気になって来た。
それでまず誘われた練習場のコンペに出てみたんだけれど、夫婦で参加している人が多いので何となく居心地が悪かった。
気を使うのも使われるのも煩わしかったし。

それで、一人で参加出来るオープンコンペに出るようになった。
女性だけの組に入る事もあったし、男性3人と一緒になる事もあったけど、煩わしさも気を使う必要もないのでゴルフを純粋に気楽に楽しめた。
賞品は貰ったり貰えなかったりだったけど、運次第だったのでそれはそれで面白かった。

そして、この前の冬のコンペ。
ラッキーが続いた。
林に打ったボールは、木に当たって帰ってくる。
ミスショットが転がってグリーンに乗る。
長いパットが入る。

気がつくといつもは100前後のスコアが、最終ホールをパーなら90を切るところまで来ていた。
今までのベストスコアは、夫と一緒にやっていた5年くらい前の90。
80台は一度も出した事がなかった。

最終ロングホール...ドライバーはフェアウェイ...セカンド4W...三打目も距離が残ってまた4W...グリーンをオーバーして、奥からの下りのアプローチが残った。
それをパターを使って、ビビってのショート...残りは、下り1メートルのパーパット。
この時には他の3人の同伴競技者は私の真剣な様子に気がついたみたいで、一緒にラインを読んでくれたり応援してくれたり...パットを打つ瞬間には皆が息を止めて見守っていてくれているのを感じた...「入ってえ〜」って心の中で叫んだ。

止まりそうになったボールが、ゆっくりとカップに入って行くのが見えたとき、自分でも知らず知らずに右手を伸ばしてガッツポーズをしてしまった。
「なんで先に死んだんだ」
「子供達が巣立って行って寂しいのに」
「でも、あたし一人でもベストスコアが出せたんだ」
「まだ、良い事が沢山あるのかもしれない」
「まだ、こんなゴルフを続けたい」
...なんて思いが一編に頭の中に浮かんで来た。

「ベストスコアが出せました。」っていったら、みんな「おめでとう」と喜んでくれた。
でも、ベストスコアが出せたくらいで泣いてるなんて思われたのがちょっと恥ずかしい。



...はじめてのガッツポーズ、格好悪かったかもしれない。

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かなり以前のこと、誘われて参加したコンペでの出来事だった。

スタートホールで3オンしてグリーンに上がった時、カップ周りにちょっと大きな引っ掻き傷を見つけた。
シューズの金属鋲を引きずったようで、ちょっと深くてちょうど自分の1メートルほどのパーパットのライン上だった。
「ひどいなあ...誰がこんな痕をつけたんだ?」なんて、ぶつぶつ言いながらパットをした。
当然、スパイク痕で蹴られて外してボギー。
「歩くのが下手な人がいるんだなあ」とか「グリーンを傷つけないで歩くのは常識なのに」とか一人でぶつぶつ文句を言っていた。
しかし、不思議なことに、同伴競技者は曖昧に笑い返すだけで困ったような顔をしている。

...数ホール進んだところで気がついた。
前の前の組のゴルファーの一人が、少し足を引きずって歩いている。
歩くたびに体が大きく揺れる。
...グリーン上では、気をつけているようだけど傷を付けてしまうのだろう...あちこちパターで直している...同伴競技者もさりげなく彼の歩いたところを直している。
「そうか」...悪いことを言ってしまった...それを知っているから、同じ組の人たちは何も言わなかったんだ。

そしてそれからかなり経ってから、別のコンペでその前を歩いていた彼と再会することになった。
今度は同じ組。
彼の歩いた痕に傷は残っていなかった。
昼食の時にふとそんな話になった。

「あの頃はみんな靴の底が金属の鋲だったでしょ」
「私、生まれたときから足の長さが違うので、あれだとどうしても足を引きずってグリーンに大きな傷を作ってしまうんですよ」
「一生懸命パターで直しても、時間がかかってスロープレーになってしまうんで心苦しくてねえ」
「他の方も手伝ってくれるんだけど、どうしても全部直しきれなかった...」
「それでゴルフのラウンドはかなり遠慮していたんですが」
「このスパイクレスシューズが出てから、楽になりました」
「特に今は芝に優しい靴選んでますから、ゴルフが楽しめます」

もちろん、足が悪いために飛ばないけれど、アプローチやパットの小技が実に巧く、ボギーペースで回って行く。
やはり以前と同じように一歩一歩大きく体を揺らしながら歩くけれど、グリーン上にスパイクマークは殆ど残さない。
色々なゴルファーそれぞれにどんな事情があるかは、狭量な自分の判断基準を超えていた。
彼が1メートルのパーパットを外した俺よりずっと苦しい思いをしていた、という事迄気が回らなかった。

金属鋲のスパイクシューズがほとんどのコースで使えなくなった今、そのプラスマイナスについてはまだ色々な意見が有る。
(俺の大枚をはたいて買ったフットジョイやエトニックの革靴も、鋲を合成樹脂のものに交換しなければ履けなくなったし。)
滑落や転倒事故には鋲の方が安全とか、スイングには鋲の方がいいとかの意見はまだ有る。
でも靴の進化は安価でより軽量な靴を作りだし、彼のような人にも伸び伸びとした気持ちでゴルフを出来る環境を作る事も出来た、という訳だ。


「以前は負い目があったので,大きな声で言えなかったけど。」
「こういうシューズが出来て有り難かった...」

「今は、ゴルフは私の生き甲斐です。」

彼は笑いながら、言った。

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3回目のプロテストだった。

一寸遅い20歳からゴルフを初めて、プロを目指してからは練習場の手伝いやレッスンをやりながら自分のゴルフを高めて来た。
もう30近い年齢だけど、調子は今までで最高に良かった。
地区の予選やカットを軽くクリヤーして来て、プロテスト独特の雰囲気にも慣れてきたし、特別な事故でもない限り必ず通るという確信みたいなものがあった。

一応レッスンプロの資格はあるけれど、プロを目指したからには試合に出て脚光を浴びたいし、賞金を稼いで贅沢もしたい。
少ない稼ぎで苦労させている嫁さんのためにも、今度のプロテストは絶対に通って、子供を作れるような環境を作ってやるつもりだった。

自分のゴルフは、飛距離は出ないが正確さとインテンショナルに曲げる技術が売りで、アプローチ、パットには特に自信があった。
体調も万全で、何も不安はない...はずだった。

プロテストの組み合わせ表が発表されたとき、同じ組に今売り出し中の学生の飛ばし屋Kの名前を見つけた。
なんでも、ドライバーで300ヤードを飛ばすという、アマチュア界の「怪物」と呼ばれている男だった。
(今の時代と違い、パーシモンのドライバーは250ヤードを打てれば「飛ばし屋」と言われていた。
まして、300ヤードを打つなんて男は「怪物」としか言いようがなかった。)

先輩のベテランゴルファーや、世話になったプロは
「絶対に奴のショットを見ちゃいかんぞ」
「奴のプレーを見ると力が入るからな、奴を完全に無視してまわれ。」
とアドバイスしてくれた。
...少しは不安があったが、飛ばし屋と言われるプロと回ったことは何度もあったし、自分は飛ばないことを知っているから大丈夫だろうと思っていた。
「自分の本分は正確さとパットだ」
それを心に決めていれば...



「甘かった」
プロテスト当日、初めて間近に見た「怪物」は、180センチ以上の身長と堂々たる体格をしていた。
もちろん、先輩達のアドバイス通り絶対に彼のショットを見ないことにしていた。

...しかし、音が聞こえた。
同じパーシモン使っているとは思えないような、「爆発音」というか「圧縮音」...今まで一緒に回った「飛ばし屋」とは比べ物にならない桁違いの音だった。
それに比べると、自分のショットの音はまるで楊枝でボールを引っ叩いているようにしか聞こえなかった。
力んじゃいけないと頭の中では100パーセント思っているのに、もっと強い音を出そうと身体がかってに動く。
自分が何をしたいんだか判らなくなっていた。
自分でも信じられないほど、ボールを強く叩く...でも、「音」が...弱い...。
また「怪物」の強烈なインパクト音が聞こえる。
自分でもどうしようもなく、「もっといい「音」を出したい」と叩く...叩く...

ボールは曲がった...曲げるんじゃなくて曲がった。
アプローチや小技の勝負にいく前に、既に取り返しようもないほど叩いていた。

結局、「怪物」はトップ合格。
自分は今までで最低のスコアで落ちた。
同じ組の他の二人も、ボロボロになって落ちた。

自分があれほど一緒になったゴルファーに影響されてしまったのは初めてだった。
彼以外のゴルファーと一緒だったら、自分はきっとプロテストを通っていただろうと今でも思う。

...でも、それが運命なんだろう。
自分はそういう運命だったんだろう。
ツアープロになる夢は、それで終わった。
その後やって来た不景気とゴルフブームの衰退で、レッスンの仕事も立ち行かなくなり、今ではゴルフの仕事からも離れた。

自分にとって、あれが最後のプロテストだった。
...あれからずいぶんの時間が経ったけれど、今でもあの音の記憶は耳から離れない。


怪物と言われ期待されたその男も 、結局ツアーではさしたる実績をあげる事も出来ずに消えて行った。


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いい天気だ。
ゴルフ日和といっていいだろう。

Kさんは空を見上げて、思う。
今日は一番大事なトミー・アーマーのドライバーを磨いてやろう。

ああ、なんて美しい...流れるような流線型のフォルム...絶妙な木目の流れ...時間が作り上げた渋い色合い...嵌め込まれたペーパーファイバーのインサートの美しさ...

ゴルフを始めた頃、一番気に入ったのがパーシモンのドライバーで糸巻きボールを打った時の、「バシュッ」というような音と、フェースにいったんくっついてから離れて行くようなあの感触だった。
あの頃はよく夢の中でも、「バシュッ」という音と、ドローの軌道で遥か遠くまで飛んでゆく白球の夢を見たものだった。
まあ、現実の世界では右に曲がる球しか打てなかったんだけど。

その当時、トミー・アーマーの693と、ターニーのM85は「幻の名器」とかいわれていて、パーシモンドライバーの最高峰だった。
飛距離の性能もさることながら、その道具としてより芸術品とまでいわれた形状と仕上げの美しさも見事な物だった。
おそらく当時のゴルファー全てが、やがてはあれを使ってみたいと憧れていたと思う。
自分でも使いたいという気持ちはあったけど、Kさんにとって月給より高いクラシックドライバー(状態のいいものはセットで100万円を越えていた)は、とてもじゃないが高嶺の花で現実味は全くなかった。
ラウンドは月に1度か2度、100を切るかどうかの腕だったけど、それなりにゴルフを楽しんでいた。

変わったのは、メタルヘッドのドライバーが普及してから。
あっという間にほとんど全てのゴルファーがメタルヘッドのドライバーを使うようになった。
メタルからカーボン、チタンとヘッドの素材は変わって行って、パーシモンの時代はあっさりと終わってしまった。
Kさんもメタルや、カーボンやチタンのドライバーを打ってみた...が、何の感動も湧かなかった。
ただボールが金属音を残して前よりも遠くに飛ぶようになっただけ。
パーシモンで糸巻きのボールを打った時の、あの胸が痛くなるような感動が全く無い。
周りの仲間は以前は「0Xはフェースのラウンドが...」とか「この二百年もののパーシモンの方が感触が..」とか「ここはヒールで打ってスライスを...」とか言っていたのに、みんな「XXヤード飛んだ!」とか「前より00ヤード飛ぶ!」とかの話ばかりになって、会話がつまらなくなった。
Kさんは、だんだんゴルフをプレーする情熱が無くなって行くのを感じていた。

ただ、Kさんにとって幸運だったのか不運だったのか...パーシモンの需要がなくなると同時に、あのクラシックの名器たちの値段も急速に下がっていった。
ゴルフへ行く情熱を殆ど無くしたKさんだったけど、不思議なことにパーシモンのドライバーへの興味は全然なくなっていなかったという。
ゴルフへ行かない分だけお金に余裕ができるし、名器の値段が下がってくる..,それからKさんは、お金を貯めてはクラシックのパーシモンヘッドのウッドを集めるようになった。

さすがに「トミー・アーマー693」や「ターニーM85」は状態のいい物はまだ高いので、状態があまり良くはない物を手に入れた。
それでも名器は十分に美しく、Kさんにとってはヘッドについている傷でさえそのクラブを使ってきた人のゴルフの歴史が感じられて、全く不満はない。
その他にも、純粋に「工芸品」として「美しい」と感じるクラブを集めるようになって、Kさんの狭い部屋はクラブでいっぱいになっている。
幸いな事に奥さんや家族は、困り顔をしながらもKさんのそんな趣味を大目に見てくれているそうだ。

ラウンドはもう10年以上していないそうだが、時間を見つけてはクラブを磨いたり、壊れたり割れたりしたクラブヘッドで置物を作ったりして、Kさんの幸せなゴルフライフは続いている。



いい天気だなあ...ゴルフ日和だ。
今日はトニー・ペナのドライバーを磨いてやろうかな...

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