ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

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3回目のプロテストだった。

一寸遅い20歳からゴルフを初めて、プロを目指してからは練習場の手伝いやレッスンをやりながら自分のゴルフを高めて来た。
もう30近い年齢だけど、調子は今までで最高に良かった。
地区の予選やカットを軽くクリヤーして来て、プロテスト独特の雰囲気にも慣れてきたし、特別な事故でもない限り必ず通るという確信みたいなものがあった。

一応レッスンプロの資格はあるけれど、プロを目指したからには試合に出て脚光を浴びたいし、賞金を稼いで贅沢もしたい。
少ない稼ぎで苦労させている嫁さんのためにも、今度のプロテストは絶対に通って、子供を作れるような環境を作ってやるつもりだった。

自分のゴルフは、飛距離は出ないが正確さとインテンショナルに曲げる技術が売りで、アプローチ、パットには特に自信があった。
体調も万全で、何も不安はない...はずだった。

プロテストの組み合わせ表が発表されたとき、同じ組に今売り出し中の学生の飛ばし屋Kの名前を見つけた。
なんでも、ドライバーで300ヤードを飛ばすという、アマチュア界の「怪物」と呼ばれている男だった。
(今の時代と違い、パーシモンのドライバーは250ヤードを打てれば「飛ばし屋」と言われていた。
まして、300ヤードを打つなんて男は「怪物」としか言いようがなかった。)

先輩のベテランゴルファーや、世話になったプロは
「絶対に奴のショットを見ちゃいかんぞ」
「奴のプレーを見ると力が入るからな、奴を完全に無視してまわれ。」
とアドバイスしてくれた。
...少しは不安があったが、飛ばし屋と言われるプロと回ったことは何度もあったし、自分は飛ばないことを知っているから大丈夫だろうと思っていた。
「自分の本分は正確さとパットだ」
それを心に決めていれば...



「甘かった」
プロテスト当日、初めて間近に見た「怪物」は、180センチ以上の身長と堂々たる体格をしていた。
もちろん、先輩達のアドバイス通り絶対に彼のショットを見ないことにしていた。

...しかし、音が聞こえた。
同じパーシモン使っているとは思えないような、「爆発音」というか「圧縮音」...今まで一緒に回った「飛ばし屋」とは比べ物にならない桁違いの音だった。
それに比べると、自分のショットの音はまるで楊枝でボールを引っ叩いているようにしか聞こえなかった。
力んじゃいけないと頭の中では100パーセント思っているのに、もっと強い音を出そうと身体がかってに動く。
自分が何をしたいんだか判らなくなっていた。
自分でも信じられないほど、ボールを強く叩く...でも、「音」が...弱い...。
また「怪物」の強烈なインパクト音が聞こえる。
自分でもどうしようもなく、「もっといい「音」を出したい」と叩く...叩く...

ボールは曲がった...曲げるんじゃなくて曲がった。
アプローチや小技の勝負にいく前に、既に取り返しようもないほど叩いていた。

結局、「怪物」はトップ合格。
自分は今までで最低のスコアで落ちた。
同じ組の他の二人も、ボロボロになって落ちた。

自分があれほど一緒になったゴルファーに影響されてしまったのは初めてだった。
彼以外のゴルファーと一緒だったら、自分はきっとプロテストを通っていただろうと今でも思う。

...でも、それが運命なんだろう。
自分はそういう運命だったんだろう。
ツアープロになる夢は、それで終わった。
その後やって来た不景気とゴルフブームの衰退で、レッスンの仕事も立ち行かなくなり、今ではゴルフの仕事からも離れた。

自分にとって、あれが最後のプロテストだった。
...あれからずいぶんの時間が経ったけれど、今でもあの音の記憶は耳から離れない。


怪物と言われ期待されたその男も 、結局ツアーではさしたる実績をあげる事も出来ずに消えて行った。


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いい天気だ。
ゴルフ日和といっていいだろう。

Kさんは空を見上げて、思う。
今日は一番大事なトミー・アーマーのドライバーを磨いてやろう。

ああ、なんて美しい...流れるような流線型のフォルム...絶妙な木目の流れ...時間が作り上げた渋い色合い...嵌め込まれたペーパーファイバーのインサートの美しさ...

ゴルフを始めた頃、一番気に入ったのがパーシモンのドライバーで糸巻きボールを打った時の、「バシュッ」というような音と、フェースにいったんくっついてから離れて行くようなあの感触だった。
あの頃はよく夢の中でも、「バシュッ」という音と、ドローの軌道で遥か遠くまで飛んでゆく白球の夢を見たものだった。
まあ、現実の世界では右に曲がる球しか打てなかったんだけど。

その当時、トミー・アーマーの693と、ターニーのM85は「幻の名器」とかいわれていて、パーシモンドライバーの最高峰だった。
飛距離の性能もさることながら、その道具としてより芸術品とまでいわれた形状と仕上げの美しさも見事な物だった。
おそらく当時のゴルファー全てが、やがてはあれを使ってみたいと憧れていたと思う。
自分でも使いたいという気持ちはあったけど、Kさんにとって月給より高いクラシックドライバー(状態のいいものはセットで100万円を越えていた)は、とてもじゃないが高嶺の花で現実味は全くなかった。
ラウンドは月に1度か2度、100を切るかどうかの腕だったけど、それなりにゴルフを楽しんでいた。

変わったのは、メタルヘッドのドライバーが普及してから。
あっという間にほとんど全てのゴルファーがメタルヘッドのドライバーを使うようになった。
メタルからカーボン、チタンとヘッドの素材は変わって行って、パーシモンの時代はあっさりと終わってしまった。
Kさんもメタルや、カーボンやチタンのドライバーを打ってみた...が、何の感動も湧かなかった。
ただボールが金属音を残して前よりも遠くに飛ぶようになっただけ。
パーシモンで糸巻きのボールを打った時の、あの胸が痛くなるような感動が全く無い。
周りの仲間は以前は「0Xはフェースのラウンドが...」とか「この二百年もののパーシモンの方が感触が..」とか「ここはヒールで打ってスライスを...」とか言っていたのに、みんな「XXヤード飛んだ!」とか「前より00ヤード飛ぶ!」とかの話ばかりになって、会話がつまらなくなった。
Kさんは、だんだんゴルフをプレーする情熱が無くなって行くのを感じていた。

ただ、Kさんにとって幸運だったのか不運だったのか...パーシモンの需要がなくなると同時に、あのクラシックの名器たちの値段も急速に下がっていった。
ゴルフへ行く情熱を殆ど無くしたKさんだったけど、不思議なことにパーシモンのドライバーへの興味は全然なくなっていなかったという。
ゴルフへ行かない分だけお金に余裕ができるし、名器の値段が下がってくる..,それからKさんは、お金を貯めてはクラシックのパーシモンヘッドのウッドを集めるようになった。

さすがに「トミー・アーマー693」や「ターニーM85」は状態のいい物はまだ高いので、状態があまり良くはない物を手に入れた。
それでも名器は十分に美しく、Kさんにとってはヘッドについている傷でさえそのクラブを使ってきた人のゴルフの歴史が感じられて、全く不満はない。
その他にも、純粋に「工芸品」として「美しい」と感じるクラブを集めるようになって、Kさんの狭い部屋はクラブでいっぱいになっている。
幸いな事に奥さんや家族は、困り顔をしながらもKさんのそんな趣味を大目に見てくれているそうだ。

ラウンドはもう10年以上していないそうだが、時間を見つけてはクラブを磨いたり、壊れたり割れたりしたクラブヘッドで置物を作ったりして、Kさんの幸せなゴルフライフは続いている。



いい天気だなあ...ゴルフ日和だ。
今日はトニー・ペナのドライバーを磨いてやろうかな...

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ゴルフ談義に花が咲いている。
平日だけど、二人ともジャケットの下はゴルフウェアのようだ。
聞こえて来る話では、やっと100を切るくらいの腕でいい時には90を切る、なんて腕らしい。

「ねえ! モツの煮込みとイカ刺し追加ね。」
「あ、俺生もう一杯ね」

「店長、生一つとイカ刺し、煮込みはいります。」
慣れたものだと思う...彼らには立派な飲み屋のおばさんにしか見えないだろう。
週に3日夕方6時から閉店まで、この居酒屋で働き始めてからもう4年になる。
昼間の5時までは、毎日普通の会社で働いている。

夫と事情があって離婚してから5年、まだ学生の娘を育てるためには昼間の仕事だけでは収入が足りず、やっとこの店のパートを捜して働き始めた。
運が良いことに店長がいい人だったので時間を調整してもらって、慣れないこの仕事を続けることができた。
身体はしんどいが、なんとか生活が出来るレベルになった。

「ねえ、おばちゃん、あ、おねえちゃんか...悪い悪い」
「ゴルフ、わかる? 今日はね、こいつが88の自分のベストスコア出したお祝いなの。」
「おまけにね、こいつ、バーディーなんかとっちゃったの!」
「わかる、ゴルフ? 300メートル先のちっちゃな穴にね、こいつ3回で入れちゃったの!」
「凄いでしょ〜!..あ、ゴルフってね面白いからさ、やってみるといいよ〜」

気持ちよく出来上がったお客さんから、そんなことを言われる。
「あ、おねえさん、よく見ると奇麗だねえ〜、今度教えてあげるからさ、ゴルフやろうよ、ゴルフ!」
そんな風に誘われることも何回もある。
幸いこの店では悪酔いするようなお客さんはいないので、別に問題はないのだけれど...

ゴルフはよく知っている。
離婚する前はプロについてレッスンを受けていたし、今だってゴルフに興味はあるし、出来ることならプレーもしたい。
熱中していた頃は、良ければ80そこそこで回れていた...

今でもクラブは奇麗にしてあるし、古くなったかもしれないけれどウェアもとってある。
でも、余裕がない。
週に5日働いて、そのうち3日は夜遅くまで働いて、それでやっと子供との生活を送るので精一杯。
時間もお金も足りない。

誘ってくれるお客さんも数人いるけれど、その世話になって面倒なことには絶対になりたくない。
...4年の間ラウンドしていない、練習もしていない。
でも、ゴルフをやめたつもりはない...いつかきっとゴルフをまた始めるだろう、ということを信じている。
娘が大人になってからだろうか、どこかのいい男が私の生活を変えてくれてからだろうか、気まぐれに買っている宝くじが当たることがあってからだろうか...見当がつかないけれど。
日々を生きるのが精一杯の今、ゴルフへの情熱の火は決して消えなくても、それを表に出すことはない。

なんだかゴルフというものからは、遥か遠くに離れてしまったような気はしている。

でも、遠い時間の先であっても、必ずゴルフをまた始めるつもりでいる。
...そして、どこかのコースの1番ホールのティーグランドに再び立つことが出来た時、より深くゴルフを理解し、楽しんでいる自分がいることを信じている。

そして...そのティーショットを打ったとき、自分は笑っているんだろうか、泣いているんだろうか...
いつか、それを知りたい。

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Rさんは、「しけたギャンブラー」だって、自分を自嘲気味に笑っている。
別に「賭けゴルフ」をやるギャンブラーなんて意味じゃあ全然ない。

3月から5月くらいまでは週一回はゴルフに行っていた。
でも、7月からはあまり行けなくなって、9月過ぎのゴルフシーズンに入ってもゴルフに行くことができない。
原因は、ギャンブル...といっても、あのパチンコ。

一昨年から給料は全く上がらず、ボーナスも減り、それなのに子供たちや何やかやと支出は増えている。
当然切り詰めなくてはやっていけない...彼の使える金も半分くらいに減った。
熱中していたゴルフも、練習場に行く数を減らし、ラウンドするのもなるべく安いコースを探し、早朝や夕暮れのゴルフを探し...それでも昨年は月に4回は行けなくなった。

そんなときだった...昨年の暮れに同僚とフラッと入ったパチンコで大当たりをとった。
「バトルもの」というらしく、一回勝つと次から次へと勝ち続け、負けるまでやって3時間...換金すると10万近くの金を手にしていた。
「ああ、これでゴルフができる!」..飛び上がりたい思いでその金を懐に入れ、その月はあまりプレーフィーの安くないコースも含め、5回もコースに行けた。
「やっぱり、金があるといいゴルフ場でできるなあ..」としみじみ思ったそうだ。

この時「そうだ!少ない小遣いもこうやってパチンコで増やせば、もっといろんなゴルフ場に行ける」と、どこかでそう思ってしまった。
もちろん「ギャンブルで勝ち続けることなんかできない」、くらいは知っていたから週一回以上はやらなかった。
そして、それから3ヶ月あまりは勝ったり負けたりを繰り返しながらも、運良くプラス状態が続いて「俺にはギャンブルの才能があるのかも」なんて気さえしていた。

おかしくなったのは、そのあとから。
それまでは「バトルもの」ってやつで当たると、必ず7回から10回、多いときには20回も連続して当たっていたのが、当たってもすぐに負けるようになった。
次に勝つ確率が80パーセントを超えるという機種なのに、せっかく当たっても1回とか2回で終わってしまう...当然プラスにはならずにマイナスが増えていく。
「おかしい」「こんなはずでは」という気持ちで熱くなってしまい、パチンコをやる回数が増えた。
そのうちに「当たる」ことも少なくなった。
へそくりを取り崩して入れ込んだあげく、ゴルフに行く金なんてどこにもなくなった。

それからは、給料日を待ちこがれて、小遣いが入るとすぐ(前のように、月4回のゴルフがやりたくて)パチンコ屋に直行するけれど、結局やられる日々が続いている。
「パチンコをやめて、その金で安いゴルフ場に月に2度くらいでも行けばいいのに」と頭ではわかっているのにやめられない。
「取り返したい」なんて思っているギャンブルは勝てっこない、ともわかっているのに。
せめて、サラ金から金を借りたりしてのパチンコは絶対しない、とだけは肝に命じているけれど...


「こんな小さな玉よりも、もう少し大きな球に燃えていたのになあ...」なんて、自嘲気味に煙草を吹かしながら、今日もRさんはパチンコ屋に行っている。

もう三ヶ月も前から、一度もゴルフに行けていない。

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女子プロゴルフが話題になる時に、ちょっと私の胸の奥でちりちりとするものがある。

今の私は、ゴルフは全然やっていない...というよりゴルフをプレーしにコースに行ったことも無い、というのが本当かもしれない。
やったことはあるのだ、遠い昔...中学一年の頃に。

以前父はゴルフに熱中していて、メンバーが多いために安かったコースの会員権を買って競技を盛んにやっていた。
もちろん普通のサラリーマンだったので、プレーは月2回が限度だったけれど、毎日素振りを欠かさずにハンデは5までいった。
そんな父のコースで夏休みに「ジュニア教室」を開くというので、中学に入ったばかりの私も参加することになった。
本当はゴルフなんかに興味は無かったんだけれど、「やりたい」と言うと父が喜ぶので、嫌々ながら参加しただけだった。
...でも、実際にやってみると私は適性があったらしい。
基本的なグリップや体の動きを教えてもらった後、ボールを打つことになっても一度も空振りをしなかったし、ボールはあまり曲がらずによく飛んだ。
元々運動神経には自信があったし、体の柔らかさやバネの強さにも自信があった。
一週間の合宿が終わる頃には、ドライバーで200ヤードぐらいまっすぐに飛ぶようになっていたし、アイアンもちゃんと当たった。
そのコースのプロで先生役だった人が、何度も「君、本当にゴルフやったこと無いの?」って聞きにきた。
最後の日に、メンバーである保護者と組んで3ホールを回ったけれど、私と父の組だけがパープレーだった...それも父のミスを私がカバーしたりして。

プロが私に「君はプロになる気はない?」と聞いたんだけれど、私は「わかんない...」としか答えられなかった。
その後、プロは父と結構長い時間話していた。

その日の夜、父が私に真面目な顔で「話があるんだけれど...」って言ってきた。
「プロが、お前にやる気があればプロになれると思うから、本格的にゴルフをやる気は無いか、って言うんだ。」
「お父さんは、お前がもし本気でゴルフをやる気があるんだったら、応援するから」
...


「私、ゴルフはやらない」
「本当にそれでいいの? お前には特別に才能がある、ってプロが言っているんだぞ?」
「私、やらない。」

その後、ゴルフクラブを握ったのは一度だけ。
大学に入った時に、クラブの勧誘をいろいろやっているところに「ゴルフ同好会」があった。
一緒に大学に入学した友達が興味があるって言うのでつき合ったら、「あなたもちょっと打ってみてください」って言うので久しぶりにクラブを握った。
...ちゃんと当たった。
何発か打つといい当たりが連続した。
「あなたはゴルフやってたんですか?」と聞くから「中学の時に一週間くらい」というと「是非、うちの部に入ってくれないか」って離してくれなくなった。
「入る気はありません。」ってはっきり言って入部しなかったんだけれど、その後半年くらいずっと勧誘を受け続けた。

...父は私が26の時に、癌で亡くなった。
その入院している時に、父がその時のことをしみじみと話してくれた。
「もし、お前がゴルフをやる、と言ったら、お父さんはゴルフをやめて会員権や自動車を処分してでも、お前がゴルフをやる金を作ろうと思ってたんだよ。」
「でも、お前がゴルフをやらない、と言ったからお父さんはゴルフを続けられたんだ。」
「...正直、お前がゴルフをやらない、と言った時、少しホッとしたりしたんだ。」
「でも、もっとちゃんと勧めてたら、お前は今頃はゴルフの才能を発揮していたかもしれなかったのに、悪かったなあ..」

...そんなことわかってたんだよ、お父さん。
私、お父さんの楽しみにしているゴルフをやめさせてまで、ゴルフをする気はなかったんだ。


私も、もう30才を超えてしまったけれど、あれからゴルフをしてはいない。
これからもする時が来るのかどうかわからない。

ただ、今でも「もしあの時...」と思うと、ほんの少しだけ胸の奥がちりちりとすることがある。


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Tさんは20年以上続けていた、クラブ競技への参加をやめた。

この倶楽部に入会してから、毎月の月例には必ず参加してきた。
クラブハンデはシングルになり、今は3までになって競技中心の生活を送ってきた。

特にこの10年は倶楽部選手権の優勝を目指して、必死に練習を重ねてきた。
仕事は自営だったので、週2回はなんとかゴルフをやる時間は作り出せた。
その代わりに朝から晩まで、人の2倍は真面目に働いてきた...つもりだ。

Tさんの所属するクラブは、決して名門という訳ではなく、「コースは良いけれど会員数が多いから...」という評判のコース。
その代わりにクラブ競技が盛んで、Tさんのように研修会に入っていると月に2回は公式の競技がある。
月例の優勝や入賞は数えきれないほど経験してきたTさんにとって、そのゴルフ生活の集大成、最終目標が「クラブチャンピオン」になることだった。
いいところまでは何度も行った。
この10年はマッチプレーの準決勝までは必ず行って、いつもクラチャンを争う3人との戦いがずっと続いていた。
Kさんは、ハンデ0アイアンの名手...この10年でクラチャンを5度獲っている。
Wさんは、アプローチ・パットが素晴らしく、この10年で3度タイトルを獲った。
Oさんは、飛ばしやで荒っぽいがつぼにはまるといいスコアを出す...彼は2回獲った。
いつもクラブの4強として優勝候補に挙げられながら、Tさんだけがまだタイトルを獲っていなかった。

今年Tさんは弱点だったパットが、新パターに買い替えてから良くなって来た。
ドライバーの飛距離も、去年より伸びた。
36ホールの予選は、メダリストとして通った。
「間違いなく今年は俺が獲る!」そう信じて、マッチプレーに入った。

18ホール勝負の1回戦は7−6、2回戦は4−3で問題なく勝ち残った。
ただ、ほかの組み合わせで波乱が起きていた...5度優勝を誇るKさんが、2回戦で中位で予選を通った始めて聞く名前の選手に2−1で負けていたのだ。

Tさんの準決勝36ホールマッチプレーの相手はそのH選手...なんと、子供だった。
聞くと高校の1年生で今年このクラブに入会したばかりの新人...それも、朝名前を名乗って挨拶したのに挨拶を返せもしない、マナー知らずの子供!
1番でTさんは、セカンドを1ピンにつけた。
Hはグリーンオーバー...ところがそこから強すぎるとも見えるアプローチをピンに当ててカップイン...Tさんは1ピンを入れられずに1ダウン。
毎ホールがそんな調子だった。
パット、アプローチともHは強すぎる調子で打ってくる...それがよく入る。
Tさんがとれるホールは、Hがパットやアプローチをオーバーして返しを入れられなかった時だけ。
圧倒されていた...強気強気の相手に先手が取れない...9ホール終わって3ダウン。
18ホールでは7ダウンになっていた。
...そして一度も追いつけないまま、9−8という大差で負けた。
この10年では経験したことのないような完敗だった。
試合が終わった後で挨拶をしたTさんは、勝って当然という顔のHという子供に無視された(ように感じた)。

そして、決勝戦もTさんのライバルだったOさんが、10−9という大差で負けたことを後で聞いた。
そしてその子供の親が練習場の経営者で、ラウンドも最低週に2回は行っているということ、その練習場のレッスンプロにずっと習っていること...そしてその子供にとって、このクラブのクラチャン出場なんて、トップアマの全国大会の前のほんの小手調べだったことを知った。

Tさんは、なんだか自分のゴルフやクラチャン、競技なんてものに対する価値観がすべて跡形も無く壊れてしまったような気がした。
Tさんにとって「クラチャン」というのは、クラブを代表するゴルファーとなることであって、態度もプレーぶりもそのクラブを代表するものとしての自覚が常になくてはいけない存在だった。
そして、それは仕事をきちんとやりながら生活して来たアマチュアゴルファーにとって、最高の名誉であり勲章であり、ゴルファー生活の最終目標でもあった。

...でも、今年のクラチャンは、挨拶も満足にできない子供で、クラブの代表になったなんて嬉しくもないという態度の、今年入ったばかりのメンバー。
ほかの3人がクラチャンになったんだったら、共に戦ってきた戦友として仲間として(たとえ口惜しくても)祝ってやる気持ちはあったんだけど、今回はそんな気がすっかり消えてしまった。
自分たちの懸命に目指してきた「クラチャン」という輝かしい称号が、今は子供の足下で泥だらけになって転がっているような気がした。


自分は何をしていたんだろう、という空しい気持ちが強くなって、それからTさんは競技への参加をやめた。
ゴルフは上手いだけでいいのか?...強いだけでいいのか?...Tさんは、今でもそんなことばかりが頭に浮かんできて考えがまとまらない。

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自分では温厚な方だと思っている。
そんなに喧嘩したり、他人と言い合いをしたり、悪口を言ったりするのは好きじゃない。
誰とでも普通につき合えると思っていた。

でも、人を本当に不愉快にすることをする人っているもんだ。

...此処のところ、ゴルフの調子が良くなってきているのを実感していた。
課題だった「ショットのつながり」が何となく理解できてきて、馬鹿な大たたきをしなくなった。
参加している主婦ばかりのサークルの定期的なコンペでも、平均的に上位にくるようになっていた。
そのサークルに入って何年にもなるので、今年はそこの部長をやることになった。
部長といっても、要するにサークルの雑用係であり、年4回の定期的なコンペのコース選びとか、予算の交渉とか、日にちの決定なんかをやらなければならない。

そして今年最後のコンペの日程を決めるときに、それがおこった。

自分が用事で留守にしている間に何回か電話があったらしいのだが、全く部長の自分が知らない間に日程が他の幹事の人の意向で決まっていた。
その人は何時も自分の意見を強引に通す人で毛嫌いしている人も多かったけれど、まさかこんな事迄自分勝手に決めるとは思っていなかった。
...その日は、以前から決まっていた家の行事があり、自分が絶対に外せない日。

家の電話にはあったらしいが「留守だったので自分が決めた」とのこと。
携帯に電話くれたら、よかったのに...せめてメールでも。

そうしたら、メールで「決まったんだからしょうがない。いないのが悪い。」と来た。

...口惜しかった。
ずっと練習してきて、今年の集大成にするつもりのコンペだった。
一応部長という立場で、雑用をやってきたのに、自分抜きで何の連絡も無く決められた。
メールの文を読んで、自分でも信じられないくらいに頭に来た。

夜も眠れなくて、主人の晩酌につき合って、飲めないお酒を飲んだ。
...冷たいお酒がおいしく感じて...つい飲み過ぎてしまった。
なんだか目が回ってきて...気がついたら階段から落っこちていた。

朝起きたら、右手が上がらない。
おでこにも擦り傷と、こぶができていた。
右肩が痛いので整形外科を訪ねたら、「関節には異常はないが肩の腱が切れているみたいだ」って。
「治るのは..?」
「半年くらいかかるかなあ」

いたくて右手は水平より上がらない。
せっかくの調子の良かったゴルフも半年以上できなくなった。
楽しみだった週一回の練習も、当分お休み。

本人には悪意がないのかもしれないが、人を怒らせるのが得意な人っているのかもしれない。
自分でもこんなに腹が立つとは思っていなかったけど、半年は頭を冷やすのには十分すぎる時間。
でも、半年たって自分のゴルフはどうなっているんだろうか...
ちゃんと右手は元通りに動くんだろうか...

ああ、お酒に弱いのはわかっていたんだから、あんなに(といってもおちょこに4杯くらい)飲まなければよかった。

...ああ、口惜しい。

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Aさんがそのコースに来たのは15年ぶりだった。

プレーするチャンスはその間に何回もあったのだけれど、あえてそのコースに行くことは避けていた。
そのコースはT県の奥にある、チャンピオンコース。
コースは良いのだけれど、都内からは遠いのでそれほど知られたコースという訳ではない。

15年より前、Aさんは此処のメンバーだった。
丁度バブルの始まる前で、ゴルフに熱中しだしたAさんは競技ゴルフをしたくてこのコースを手に入れた。
インターからも遠くて、都内からは行きにくかったこのコースはコース自体の評価の割にはまだ値段は安かった。
でも、地形に恵まれてトリッキーなホールは少なく、コースレートは73に近いこのコースは「知る人ぞ知る」の名コースだとAさんは思っていた。
そしてそれから10年以上競技ゴルフに熱中したAさんは、ハンデは5に近いシングルになり、クラブ競技で名の知れたゴルファーになった。

そのAさんには、このコースに通う楽しみがもう一つあった。
それは帰り道をいろいろと変えて楽しんでいるうちに見つけた、地元のおばあさんのやっているお土産屋。
「土産」といっても、それは自分でとってきた山菜や、茸、自分で作っている「米」や「野菜」「果物」、それに自家製の「みそ」や「漬け物」みたいなものだったけど、どれもが安くて驚く程旨かった。
春は野生のタラの芽や、ワラビ、ゼンマイ...
夏から秋は珍しくて旨いいろいろな名も知らないキノコ...これは旨い食べ方迄教えてもらって、酒の摘みにはどれも絶品だった。
そして新米や、果物類も...
毎週のようにコースの帰りに立ち寄っていたAさんは、すっかりそのおばあさんと仲良くなり、おばあさんはいつも売り物じゃあないおまけをいっぱいつけてくれるようになった。
自分達が食べている浅漬けのお新香とか、数の多く取れない豆類や芋など...


それが15年前、Aさんは仕事を変わったために収入が減り、どうしても必要があってこのコースを手放した。
何年かはゴルフどころじゃない生活が続き、またゴルフが出来るようになったのは7年ほど前から。
今は自分のコースを持たずに、あちこちの安いところを探してプレーしているが、そのコースだけにはどうしても行く気になれなかった。
かってメンバーとして充実したゴルフライフを送っていた思い出がある分だけ、近づけなかった。

15年ぶりにプレーしたかってのホームコースは、木々が大きくなり、記憶にある風景とは少し変わっていた。
メンバーも殆ど入れ替わったらしく、知った顔には一人も会うことはなかった。
(このコースも、この近辺のコースと同じように預託金の返還が出来ずに倒産し、経営が変わった事はニュースで知っていた。)



プレーが終わると、このコースに再び来ることでずっと気になっていたもう一つの気掛かり...帰り道の、あのお土産屋に立ち寄った。


...そこには雑草に囲まれて、半分朽ちている店の残骸があるだけだった。
考えてみれば、あの頃から15年...もうおばあさんが店にいるはずもなかった。
別れも言わずに、ある日立ち寄らなくなった自分のことを、おばあさんは気にしていただろうか?
いつも自分用に用意してくれていたおまけを、おばあさんはいつ迄用意してくれていたんだろうか?


心残りが、自分を責める...


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Tさん夫婦は、車を捨てた。

夫の定年に伴って、夫とこれからの生活を話し合った中で結論が一致したから。
少ない退職金は家のローンを完済したら、たいして残らなかった。
年金をもらえる年齢迄の生活は、私がパートを続けることと夫もとりあえずの年間契約の仕事を続けることで何とかなりそうだ。

でも、収入は半分くらいになる。
そこで何が切り詰められるかを話し合った。
一致したのが車...小さな大衆車なんだけど、軽じゃあないんで車検や税金、駐車場代金などが重過ぎた。
おまけに、車を使うことはゴルフへ行くことが中心で、買い物やちょっとした旅行なんかでは殆ど使ってなかった。
車は売るとして...じゃあ、ゴルフもやめる?

これは難しかった...月に1回くらいしかゴルフには行ってないけど、今では夫よりもスコアはいいし、近所の練習場も安いので週に一度くらい友達と練習するのもいい気分転換になる。
勿論練習そのものより、気の置けない仲間達とのおしゃべりの方が中心なんだけど。
...夫も、ずっと上手くならないけれどゴルフは好きらしい。
「残りの人生にだって、月に一度の楽しみは必要だ」、そんな風に意見が一致した。

で、結論は「車を売って、電車でゴルフは続けよう。」
(でも、車は古過ぎて売る事が出来ず、廃車にするしかなかった。)

仲間とのコンペなんかでは相乗りさせてもらうけれど、夫とゴルフに行くときは電車を利用して行くことにした。
当然、駅迄送迎バスで迎えに来てくれるコースや、バスの便があるコースばかりにしか行けないけれど...これが結構楽しい。
クラブは宅急便で送ってしまうから荷物も少なくて、朝なんかはまるで遠足気分。
通勤の人達と同じ方向には私達が行ける様なゴルフ場は無いから、朝乗る電車は殆ど座れるし。
郊外に出てから電車の中で朝食をとるのだが、おにぎりを食べながらお茶を飲み、窓を流れ行く景色を見ていると、季節の移ろいも実に良く感じることが出来る。
車を使っていた時には感じられなかった贅沢感だ。
帰りも、夫は車の運転を考えなくて済むので、実に寛いで缶ビールを飲むことが出来ると喜んでいる。

車がある間は全くする事のなかった「のんびりとした鉄道の旅」...これ、本当は自分が凄くしたかったことなのかもしれない。今は、月に一度「遠足気分で鉄道で旅に出る」のが楽しくてしょうがない。


...そしてその上ゴルフ迄できるんだから、なんにも文句はない。

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Kさんは東京の下町で,家族でやっている小さなプラスチック工場の経営者だった。
バブルの始まりの景気の良い頃に、ゴルフにはまったKさんはこのコースの会員権を手に入れた。

簡単に買える金額ではなかったけれど,その頃はずっと会員権の値段は右肩上がりで上がっていて「好きなゴルフをいつでもやれる」ってことと、「確実な投資」も兼ねているから、と購入に踏み切った。
工場の経営も、同じように右肩上がりで伸びていたから、ローンで買っても不安は何も感じなかった。

当然熱中していたゴルフもますます熱が上がり、時間が空くと徹夜明けでもコースに直行した。
毎月の月例、理事長杯、クラチャン、開場記念杯、新年杯、盛夏杯、忘年杯、全て参加した。
ハンデは16から始まって、7まで行った。

Kさんはゴルフのプレーだけにはまっていた訳ではなく、ゴルフの歴史も勉強した。
シングルになってからは、特にマナーに気をつけた。
その中で、彼が気になったのはグリーン上のピンの扱い。
グリーンに乗ってピンを抜いたあとの、その取り扱い...抜いたあとのピンをグリーン上に放り投げようものなら、大きな声で注意した。
彼はピンをグリーン上ではなく、グリーン周りのラフまで持って行って静かに置いた。
抜くときも彼は慎重にカップ周りを傷つけないように抜き、挿すときも慎重にカップ周りに触らないように丁寧に挿し、後続組に一礼してからグリーンを降りた。
先にパットを終えたときには、必ず自分でピンを持って待機していた。
そうしていつか、他の人が持っていても丁寧に奪い取るようにして、自分でピンを持つようになった。

いつしか月例に参加するメンバー達の間にそれが知れ渡り、彼の組は彼がいつもピンの係のようになるのが自然になった。

...バブルがはじけて,一時期2000万を越える値段がついたこのコースの会員権もみるみるうちに下がってきて、200万円を切る程の価格となった。
同時に不況がやってきて、下町の中小工場には厳しい逆風が吹くようになった。
それでも彼の工場は、彼の信用と家族経営で人件費がなんとかできるということで「大丈夫です。うちは信用がありますし、技術に自信もありますから」なんて言っていた。

でも,そのあとに続く不況は長く、時代の変わり目の激動は収まらなかった。
ある月例で久し振りに彼に会ったとき、「うちも厳しくなりました。私もこの月例が最後なんですよ、」「仕事の質が変わってしまって厳しいです。此処の会員権を売れるときに売ってしまって、損金を出さないと...」

このコースも「倒産」の噂がちらほらと出始めて、「売るなら今のうちだ」ということだった。
倒産したら紙くずになってしまう会員権...今ならまだ損金として計上して、少しでも苦しい家計にプラスになる(今は法律が変わって損金計上は出来なくなったが、当時はまだ出来た)。

...でも、自分のゴルフの歴史と、プレーの思い出のぎっしり詰まった会員権...売ることには本当に迷ったそうだ。
でも、もう業者に手続きをしてしまったので、その日の月例が最後のメンバーとしてのプレーになると...

彼は、今までと変わらず淡々とプレーした。
丁寧にピンを抜き、丁寧にピンを置き、自分でピンを持ち、丁寧にピンを挿し、一礼してグリーンを降りる。

「もう、このコースにこうしてプレーに来ることはないんしょうねえ...」
彼は18番でピンを挿したときに、名残惜しそうにピンに向かって語りかけた。



「ありがとう。」


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