ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

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あれから何年経ったんだろうか...

新聞に載る事件だった。

Nさんの友人だった、Sさんが帰ってくる。
SさんはNさんの数十年来の友人であり、ゴルフのライバルでもあった。
腕はほぼ互角で、飛距離はSさん、アプローチやパットはNさんが得意と認め合っていた。
永久スクラッチの約束をして、お昼とラウンド後のスイーツを賭けてゴルフを楽しんで来た。

Sさんは夫との二人暮らしで、夫婦二人でのゴルフにも度々出かける仲の良さは、Nさんもよく知っていた。
そのSさんの夫が体調を崩してから、事態が変わって行った。
風邪だと思われた夫の様子が、その後急におかしくなった。
急な物忘れと、時間感覚の異常、記憶の混濁、会話が成立しなくなる...
若年性アルツハイマーと診断されたと、Sさんから聞いた。

それからはSさんが夫の代わりに昼も夜も働いて、夫の面倒を見ていた。
ゴルフは介護のヘルパーさんに代わってもらえる時...年に数回だけになった。
勿論、その時はNさんと一緒のラウンドで。
そのラウンドもだんだん間隔が空くようになり、Sさんが疲れ切って行く様子が気になって...最後のラウンドの時には、ショットの待ち時間や昼食の時間に、何かを考え込んでボーっとしているSさんの姿が気になった。

...色々な事情や情状が考慮されて、普通より軽い期間となったと言う。
署名運動や、面会等々...Nさんは、一生懸命彼女のために動いたけれど、Sさんにとってどれだけの助けになったかは判らない。

長い時間が過ぎて、Nさんはその間回数が減ったゴルフを続けていたけれど、Sさんとラウンドしていた時のような楽しいラウンドが出来る事はなかった。
そして、もうすぐSさんは帰ってくる。
...でも、彼女が再びゴルフを再開するようになるとは思えない。
どんな気持ちでボールを打ち、どんな気持ちで笑う事が出来るのか...
前に二人で回っていた日々のように、ゴルフを楽しめる訳がない...
それは十分想像出来て、理解出来るんだけど...NさんはSさんとゴルフがまた出来る日を待つつもりでいる。
許すとか許されるとか、考えても答えの出ない事ばかり。

街にジングルベルが流れるこの季節に、何かが許されて、奇跡が一つ起きてはくれないか。
Nさんは、そんな事を思って部屋の片隅のキャディーバッグに手を合わせる。

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机の上の二つの瓶の中には、全部で37500円ある。
さっき数えたばかりだから間違いない。

何のお金かといえば、去年の年の初めに約束した掛け金...というより、貯金の金額だ。

夫と私の趣味はゴルフ。
先に仕事の必要があって始めた夫に、「やってみると面白いから。」と言われてゴルフ教室に行くようになった。
それから8年経つけど、今ではスコアは同じくらい...100を切ったり、切らなかったり。
スイングはゴルフ教室で教わった私の方がきれいだと言われるけれど、夫は力だけはあるのでたまに凄くいいスコアも出す。

子供のいない共稼ぎなので、一昨年は夫婦でそれぞれ30ラウンドほどすることができた。
夫と一緒のラウンドも月1はできるようになった。
...が、同時に夫婦喧嘩も増えた。
一緒のラウンドでは、勝った負けたで結構マジ切れしたりする。

で、昨年の年の初めに「賭けをしよう」ということになった。
いろいろと検討した結果、「年間を通して穫ったパーの数で、勝負だ。」
つまり、平均スコアだと似たようなものだから、一つパーを穫るごとにそれぞれの瓶の中に500円を入れること...一年経って多い方が勝ち。

...一年経った。
結果は、二人で合計37500円の500円玉が貯まった。
...が、私の瓶には500円玉は5枚しかない。
後は35000円...70回パーを穫った夫の圧勝だった。
これは夫の作戦勝ちだった。
夫は飛ぶので曲がると大叩きはしょっちゅうなんだけど、フェアウェイに残れば白ティーからではパーもとれる。
それに比べて飛ばない私は、パーオンすることは稀で、パーパットはいつも長い距離が残る。
パーパットを「入れなきゃ」と思うとますます入らなくなった。
結局、ボギーやダボばかりになった。
平均スコアは似たようなものなのに、パーの数の勝負じゃあ完敗だった。

「お前、たったそれだけかよ」
...夫の偉そうに見下したような「どや顔」に腹が立つ。
「勝負にならないな」の声に、口惜しくて「ブチッ」と切れそうになった。
「なによ!その言い・・」
「じゃあ、この金を元にお前が欲しがっていたドライバーを買ってやろうか?」

「あ......」

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「朝はやっぱり寒いなあ..」という季節、スタート前に熱いコーヒーでも飲もうかとクラブハウスのレストランに入った。
その男は、窓側の席でお銚子2本目を空ける所だった。
耳まで赤くして、気持ち良さそうに熱燗の酒を飲んでいる。
(おいおい、もう酔っぱらってるんじゃないか)
(そんなんでゴルフやって大丈夫かよ)
なんて心配になるくらい。

...その男と同じ組になってしまった。
「いやあ〜、冷えますね」
「こんな時は軽く一杯引っ掛けないと、とてもゴルフする気になりませんよねえ」
...(ん? 軽く一杯? お銚子2本で?)
...(おいおい...)

飛ばないながらも、それなりのゴルフで楽しそうにプレーして行く。
パーオンはしないが、巧みなアプローチで入ってパー、外れてボギーなんてゴルフを鼻歌まじりで続けて行く。
特にパーだから嬉しいとか、ダボだから口惜しいという事も無いようで、話題は天気の話や病気の話。
「私、痛風が出るとゴルフ出来なくなるんで、毎日薬飲んでるんですよ。」
「ああ、高血圧もあるし、コレステロールも高いし、腰も痛いし、膝も痛いし、太り過ぎだし、心臓も悪いし..あっはっは..」
(あっはっはじゃないと思うんだけど...)

陽気なゴルフも3ホールほどで、4ホール目に林で立ち小便をしたとたん、まるでガス欠になったように元気がなくなった。
5ホール目に売店が見えた時には、パットもそこそこに「お先に」と言って売店に行ってしまった。
我々が売店についた時には、嬉しそうな顔をして何やら飲んでいる。
「なに飲んでるんですか?」
「ああ、これ養命酒の辛口です。 旨いですよ。」
(って、なんで3本も手にしてるの...)

一本を飲んだあと、残りをカートに乗せて、彼のゴルフは9番ホールまで楽しそうに続いた。

昼休憩のレストランでも、彼は「熱燗2本ね」。
「大丈夫なんですか? 色々と悪い所があるってお聞きしましたけど..」
「ああ、大丈夫ですよ。 寒い時には熱い酒飲めば、ぜ〜んぜん大丈夫ですよ」
「すみませんねえ、こんな酔っぱらいで」

食事は蕎麦だけで、それを摘みに旨そうに酒を飲んでいる。
「おねえさん、もう一本頂戴!」
「え? もうかなり酔ってますよ...」
「あ、皆さんもどうですか? ちょこっと一杯」
「いえ、もうすぐスタート時間なんで結構です。」
「飲んでる時間、あまりないですよ。」

「ああ、もうスタート時間ですか...」
「いやあ、酒が旨いなあ..」
「じゃあ、私、午後はここで飲んでることにします。」
「ノーリターンと言う事でよろしく。」
「は?...」
(でも、その方がいいかも,,,)

「おねえさん、もう一本頂戴!」
「ホントに今日はいい天気だなあ。」




「ゴルフっていいよねえ...」


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今月の第3土曜日に、またいつものメンバーとのゴルフの予定がある。
もう25年続いている年4回のゴルフだ。
25年前には、2組のコンペだった。

メンバーは当時スポーツジムで出会った、男7人、女はGさん一人だけの計8人。
そのスポーツジムに来ていた女性で、25年前にはゴルフをやる人はGさんしかいなかったのだ。

男性はリタイアした人が4人、自営業で時間が割と自由になる人が3人。
Gさんは、旦那さんが責任の重い立場にある公務員で経済的には恵まれている立場にあった。
それぞれが顔見知りになり、会話をするようになると、「室内のジムだけではなく、外でゴルフを一緒にやらないか」という事になり、25年前に二組のコンペがスタートした。
当時はGさんは35歳、自営業の3人は40歳前後、リタイアした人は60代が二人と50代が二人だった。
美人で華やかな雰囲気があったGさんは、男性7人に囲まれて非常に目立つ存在になった。
「まるで7人の従者を従えた女王様みたい」と噂されたりした。
実際には純粋にゴルフを楽しんだだけで、男女の関係は誰ともなにもなかったんだけど(だから長く続いていたと自分では思っている)、25年の間に4人の男性が世を去ったり病気療養で引退したりして、今では一組だけのゴルフとなってしまった。
最年長の男性は70歳を越えていて、他の二人は60代...自分も60歳になってしまった。
スポーツジムも潰れたり経営が変わったりで、今では同じジムにいるのは二人だけになってしまったが、Gさんは年4回のゴルフはずっとやめる予定はない。

また今月のゴルフでは、(年をとっていても)男性3人がナイトのように恭しく自分に付き従ってくれて、(年をとっても)自分は女王様のようにゆったりした気分でゴルフを楽しむ事だろう。
その一日だけはまるで魔法にかかったように、いつの間にか顔のシワも消え、動きもキビキビとしたキレを取り戻し、自分も従う3人の男性も25年前と変わらない姿に変わる事が出来るような気がする。
もちろん、他の人からそう見えている訳ではないのだが...

Gさんは彼らと一緒のゴルフのおかげで、年に4回、女王様になる事が出来るのだ。


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出会ったときからゴルフのうまい男だった。
「上手い」というより「強い」という言葉の方が近いようなゴルフをしていた。
なんでも、若い頃練習場でバイトをしていたとかで、一時期プロを目指そうなんて思ったことがあったと話していた。
...しかし、間もなく結婚することになり、「正業」について真面目に働いて来たのだとも。

ゴルフ仲間の友人ということで知り合い、何度かゴルフを一緒にすることになったが、お世辞にも奇麗なスイングとは言い難いのに、ほとんどのラウンドを75を切って回って来た。
ドライバーは飛ぶし、アイアンは切れる、おまけにトレビノばりの柔らかいタッチのパットが上手くて、ニギリは殆どひとり勝ちしていた。
唯一の欠点はドライバーを振り回し過ぎて、たまにフックして大トラブルになることくらいだった。

驚いたのは、彼のアイアンを見せてもらったとき...古いマグレガーのアイアンだったが、グリップしてみるとみんなグリップの種類が違う...ほとんどがコード入りのバックラインありだったが、柔らかかったり、硬かったり、フックに入っていたり、スライスに入っていたり...あげくの果てに2本は硬化して破れかけていた。
「なんだ! このグリップはみんな違うじゃないか!」
「なんかおかしいか? 俺はずっとこれでやって来たんだけど..」
「グリップいつ変えた?」
「そういえば使い始めてから変えてないな」

聞けば、貰ったそのアイアンでゴルフを続けて来たから、グリップしただけで何番アイアンだか判るし、クラブに合わせて振るから、別に不自由無いんだとか...
そんなバラバラのアイアンであのショットを打っていたのか、と驚き呆れたものだった。

その男が48のとき、急に「俺はシニアのプロになる」と宣言して、仕事をやめた。
...それから聞こえて来たのは、
「1年間、ゴルフ場にバイトで入り、キャディーや他のコース管理を手伝いながら、空いた時間を練習に明け暮れる生活をしている。」
「家族と別居して一人暮らしをしている。」
「奥さんと別れたらしい。」
「ニギリで勝った金で暮らしている。」
...

50歳になって、シニアのプロテストを受けた。
一次試験は、軽く通ったという。
二次試験の途中で、おかしな話が聞こえて来た。
彼が「テストにお金がかかり過ぎる」という理由で、プロテストを棄権したと言うのだ。

詳しい事情は判らない。
彼がシニアプロにならなかった(なれなかった?)、と言う事だけは判った。

ちょうどその頃からシニアツアーは試合数が激減して、大部分のシニアプロがとてもシニアツアーの賞金だけでは生活して行けない、という状態になってしまっていた。
シニアプロになれたとしても、彼が夢見たような「華やかなシニアツアー」で活躍する、と言う夢は実現しなかっただろう。

...その後、彼は姿を消した。
風の噂では、「何処か地方でレッスンをしている」とか「もうゴルフから足を洗った」とか...あやふやな情報ばかり。
ただ、「家族とは離れて、独りで暮らしている」のは確からしい。


50を前にして、自分の夢の実現に踏み切った男。
それ迄の生活を全て捨てて、チャレンジした男。
そんなにまでして、彼の追いかけたものは一体何だったんだろう。


共感は出来ないが、心の片隅に引っかかる。
 

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そのビルの窓から見る夕焼けは、実に奇麗だといつも思う。
もうこの仕事にも大分慣れて来たけれど、体力的に楽じゃないのは変わらない。
30歳くらいから専業主婦に落ち着いて、家庭内での主婦業と子育てに専念して来たけれど、時代がそれを続ける事を許してくれなくなった。
もう年が年なので、奇麗で楽な仕事なんてあるはずもなく、色々と探したあげくにこの清掃の仕事にたどり着いた。
沢山の同じような年齢の応募者の中からなんとか採用してもらって始めた仕事だけれど、生まれて初めての純粋な肉体労働は身体にきつくて、正直つらかった。
同期に採用になった人もすぐに殆どの人が辞めて行った。
...そんな眠れないほどの筋肉痛に悩まされながらも、ずっと続けて来られた自分に少し驚いている。

もうゴルフは2年くらいやっていない。
以前のゴルフのサークルの仲間からは、まだお誘いの連絡はあるけれど。
...本当は、今日はそのサークルのコンペの日だった。
実際には練習も一年以上やっていないし、クラブに殆ど触っていないからプレーするのは無理なんだけれど、仲の良かった人からの気取らない誘いの言葉に心が揺れたのは確かだった。
少しはある自分のへそくりから、プレーするお金はなんとかなる額だったし...
しかし、今はまだゴルフを再開出来る状況にはないのは判っている。
残念だけどもうしばらくゴルフは出来ない、と返事をした時には少し胸の奥が痛んだ。

今日はいい天気だった。
絶好のゴルフ日和だったろう。
風もないし日向はぽかぽかして、冬も近いと言うのに小春日和の一日だった。
モップを動かしている時に、何回かビルの窓から空を見上げた。

仕事の終わる時間、奇麗な夕焼けの空に少しの時間見とれていた。
今日の彼女達のゴルフコースも同じように奇麗な夕焼けになっているだろう。
でも、その景色は今の自分には遥かに遠い。

今年のゴルフシーズンは間もなく終わってしまう。
それでも半年もしないうちに、またいいゴルフシーズンはやってくる。
何回か後のそんなシーズンに、数は少なくていいから、自分もまたゴルフコースに帰りたいと思う。

自分は、まだゴルフをやめたつもりはないんだから。

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これは、あるコースのオープンコンペでついてくれた、キャディーさんから聞いた話。
...そのベテランのキャディーさんがついたお客さんの中でも、特別に印象深かったラウンドだという。

一年ほど前、4組ほどの小さなコンペがあった。
そのコンペの出場者は、特別高齢に見える男性を中心に、50〜60代の男性が多く、中に女性が3名、40代くらいの人が数名というところだった。
仕事が同じとも言う訳ではないらしく、それぞれマナーの良いゴルファー達だった。

そのキャディーさんがついた組は、一番高齢そうに見える男性と60代の男性3人の組。
高齢の男性のショットは、ドライバーで130〜140ヤードほど、短いミドルなら3オン、少し長いホールなら4オンというところで、ボギー、ダボ、パットが入ってパーというゴルフを淡々とプレーしていた。
そして時折立ち止まって空を眺めたり、深呼吸をしてあたりの匂いを嗅ぐような動作を繰り返す。

ハーフが終わる頃には、なんとその男性の年齢が90歳という事が判って来た。
ハーフで50を越えるスコアではあったけれど、かってその男性が相当上手かったであろう片鱗は各所に感じられた。
そして一緒に回る男性達が、その90歳の男性のかってのライバルの息子達である事も会話で判った。

「引退ゴルフ」ということだった。
彼はこのラウンドを最後に、ゴルフを引退すると。
「もうプレーが遅くなりますし、一緒の方にも前後の方にも迷惑をかけるようなゴルフになりますから。」
「もう今では、私のライバル達は一人もいなくなりましたし..」
「いつかはやめなくてはなりませんが、こういう機会を作って頂いて..」

ある有名コースの創立当時のメンバーで、半世紀の間ゴルフを楽しんで来たという。
そのホームコースではそんなプライベートな事を大袈裟にしたくないので、こうして他のコースで有志の方が集まって引退ラウンドをする事になった。
集まったのは、かってのライバルの息子や娘、彼に世話になった事のあるホームコースのメンバー、ゴルフを教えてもらった後輩達。
そうして、これがラストラウンド。
コースの匂いを嗅ぎ、空を眺め...ショットの手応えを楽しみ、カップインの音を聞く。
「私は世界一幸せなゴルファーです。」

ラウンド後、コンペルームで小さなパーティーを開いたらしい。

私が聞いたのはここまで。

...「その数年後、彼はゴルファー人生を全うして、幸せな眠りについた。」とでも書けば、誰かさんのコラムのようになるんだろうけれど、私はその後の事は聞いていない。


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ゴルフに最適な季節だというのに、F子さんはゴルフが出来ない。
というより、今年はゴルフの練習もしていない。
医者に「最低1年はゴルフの練習もしてはいけません」といわれているためだ。

始めは寝違いかと思った。
ちょっと後ろを振り向こうとして、左の首筋に激痛が走った。
首だけを回して後ろが振り向けなくなった。
でも、寝違いだったら放っておいても1ー2週間もしないで治ると思っていたから、週に2日のゴルフの練習にも行った...首が痛くてアプローチしか出来なかったけど。
しかし、治らない。
一ヶ月、二ヶ月経っても治らないので、医者に行った。
色々と調べてもらった結果、「頸椎捻挫」らしいと言われた...簡単に言うと「むち打ち症」になっていると...それも、結構重症なんだと。
交通事故にあった訳でもないし身に覚えがなかったので、途方に暮れた。
その原因が分からないと治療の方向も期間も判らないので、痛くなった頃とどんな動きで痛くなるかを色々と考えてみた。
その結果、思い当たる事が一つ出て来た。
そう、ずっと熱心にやっていたゴルフスイングの、俗にいう「頭の残し過ぎ」。


7年前に始めたゴルフは、自分の人生で久しぶりに熱中出来る面白いものとなった。
夫のすすめでゴルフ教室に入ってみると、学生時代やっていたテニスの感覚が結構役に立った事もあって、上達は早かった。
何よりもそこのプロコーチに褒められたのが自分の奇麗なスイングフォームだった。
元々身体が柔らかく、無理せずとも肩は楽に90度以上回った。
フィニッシュでは肩はアドレスから180度以上楽に回る...腕が首に絡み付くように回るスイングはゴルフ教室の仲間からも羨ましがられた。
そこでプロに「打ったあともボールのあったところを見ていろ」とか「頭を残せ」と言われた事を忠実に守って、飛んで曲がらないフォームと褒められていた。

...スイングを褒められ、飛ぶし、曲がらないし、スコアもどんどん良くなってますます熱心に練習し、ラウンドしていた。
その奇麗なスイングフォームが原因らしい。
身体が柔らかい事を生かした、頭が奇麗に残る大きなフォローとフィニッシュ。
その度に頸椎が思い切り右に捻られて悲鳴を上げていた、って事だ。
その首への負担に身体がついに耐えきれなくなってSOSを出した、と。

それで今年は一度もクラブを振っていない。
「1年静養すれば、多分大丈夫だろう」と、医者に言われたから。
「でも、同じフォームで打ったらまた痛めますよ。首に負担のないフォームで打つようにして下さい。」

プロも、「身体が柔らかいので、ちょっと無理しちゃったかなあ..」と反省している。
「これからは、あのソレンスタムのスイングのようなイメージを持ってスイングしましょう。」
「練習出来ない間に、イメージを作って下さい。」と提案された。

自分でも、そうするしかゴルフを続けられないってよくわかる。
これからはソレンスタムみたいなスイングで振る...でもそうすると、あの今迄の「飛んで曲がらない」スイングのゴルフとは全然違う、飛ばないし曲がるゴルフになってしまうんだろうという気がする。

それでもゴルフをまたやりたいから、来年の始めから少しずつアプローチの練習を始めようと思う。
なるべく早く普通のショットを打てるようにして、なるべく早く首に負担の少ないソレンスタム風スイングを完成させる。

良い季節になっても、今は静養だ...しばらくはイメージだけでゴルフを楽しむしかない。

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その上品そうな夫婦に会ったのは、とあるオープンコンペで組み合わせになったとき。
真っ黒に日に焼けた、いかにも回数多くゴルフをやっている雰囲気の漂うご主人と、おっとりとした穏やかで上品そうな雰囲気の婦人は、ゴルフ歴はもう40年近いという夫婦だった。

特に旦那さんのアプローチと夫人のパットは、見応えのあるベテランの技とも言える見事なものだった。
ただ飛距離が出ない分、旦那さんはハーフ44ー45、夫人は47ー50というスコアではあったけれど、プレーも速く、合間の会話もゴルフ知識が豊富で愉快なラウンドとなった。

そして、昼の休憩でレストランに入った時だった。
その日のコンペは食事付きで、一部の差額が必要な料理以外は何種類かの中からどれを選んでも良いと言うもの。
その夫婦は、それぞれカツライスとチャーハンセットを頼んだ。
ハーフラウンドの内容を談笑しているうちに、注文した料理が揃った。
すると夫人が、持っていたバッグの中からプラスチックの弁当箱を取り出した。
不思議に思って見ていると
「私達、ゴルフの時には朝食べてから間がないので、お昼はいつも残していたんですよ。」
「それで勿体ないから、箸を付ける前にいつも残すくらいの分をお弁当箱に詰めてしまうんです。」
「これは私達の、今日の夕食になります。」
「当然痛みやすい生ものは入れられませんから、こういうものだけ入れるんです。」

まずチャーハンを殆ど入れて、カツを数切れ、チャーハンセットのシューマイや餃子、漬け物や酢の物などをそれぞれ区画された場所に器用につめて、弁当箱は一杯になった。
残ったご飯やカツを二人で分けて、美味しそうに食べる。
「私達にはこのくらいで調度いいです。」

その弁当箱は、夏はロッカー、冬は車に置いておくのだと...

ラウンド終了後は、風呂に入った後オープンコンペのパーティーになる。
そのゴルフ場のパーティーは数点のパーティー料理が出るので、確かに昼食が軽くても夕食までにお腹が空き過ぎると言う事はない。

でも、時代がこういう事を自然にしているんだろう...少し前までは、昼食をとらない(昼食が込みでない場合に)事さえ、色々と言われていたのに。
お昼を食べる前にお弁当箱を出して、それに料理を詰め込む人はこの時初めて会ったけれど、ほとんどを残してしまう人よりも本来ずっと「当たり前」の行為なんだと感じる。

ゴルフを楽しむためのラウンド、ゴルフを十分に満喫したら他の事はなにも見栄をはることなく、普通の感覚で生きて行けばいいじゃないか、と。
庶民には庶民のゴルフスタイルを、胸を張って楽しんで行けばいい。

マナーはマナーであって、つまらない見栄ではない。


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Bさんは、1週間に4日は近所の練習場に行く。
昼間の11時から4時近くまでをその練習場で過ごす。

打つのはせいぜい100球。
座ってタバコを吸ったり、顔見知りの人と雑談をする時間の方がずっと多い。
昼にはコンビニで買ったおにぎりを食べ、たまに練習場の喫茶店でコーヒーを飲む。

15年ほど前まで、Bさんは六本木にデザイン事務所を持っていた。
30年ほど前には、六本木を自分の庭のように洒落た自転車で走り回り、酒を呑み、女性と遊び、デザイン談義に盛り上がり、時代の先端を行く格好良い粋な暮らしをしていた。
ベレー帽を冠り、アーティスト風のファッションに身を包み、明るく陽気な人気者だった。

彼のデザイン事務所では手作業で様々なデザインをしていて、特に「カンプ製作」という代理店からの急な仕事のパステルスケッチを大量にこなして、日に数万から数十万を稼ぐと自慢していた。
その世界では名の通った売れっ子だったので、文字通り腕一本で最先端の街六本木で颯爽と暮らしていた男だった。

流れが変ったのは、パソコンの普及からだった。
色々な代理店や広告事務所が、マックを使ってデザインソフトで仕事をするようになって、彼の仕事が激減した。
どんな急な仕事でも手作業で徹夜でこなす、なんていうのは必要がなくなった。
特に彼の仕事の中心であった、「カンプ」を手作業で短い時間で創る、なんていう仕事は完全にパソコンにとって替わられてしまった。


しばらくはそれでも六本木の事務所で頑張っていたけれど、事務所の経費が払えなくなって事務所をたたんだ。
そして自宅のある郊外の団地に戻った。
しかし、都心の事務所をたたんだ事によって、少なかった仕事がますますなくなり、今ではすっかり業界から離れてしまったという。
「今だって、センスには自信があるんだけどねえ...」
「なんか仕事は無いかなあ..」
「まだまだ良い仕事が出来るんだけどねえ...」

生活は、奥さんがずっと働いているので心配は無いらしい。
ただ、毎日の時間がつぶせなくて、練習場で過ごす日々が続いている。
ゴルフはこんなにブームになる前に、代理店の人達との付き合いで始めた...ゴルフ関係の仕事も多かった...試合のポスターやパンフも作ったとか。
ハンデは10くらいまで行って、当時として非常に高い道具を揃えて、多い時には週一で行っていた時もあったという。

「新しいクラブを買えないから、ウッドはカバーをかけたままで、打たないんだよ。」

「もう7年くらいコースに行ってないなあ...」

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