ゴルフな人々    (イラストレーター渡辺隆司のブログ)

ゴルフが人生に似てるのか、人生がゴルフに似てるのか... 忘れ得ぬ、ゴルフで出会った人々。

カテゴリ: ゴルフな人々

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Rさんは今年で65歳になるが、毎週末自分で車を運転して70キロ離れたホームコースに一人で出かける。
土曜日の朝か昼前に出かけて、ラウンドしたりハーフだけ回ったりしたあと、馴染みの小さなホテルに泊まる。
以前ロッジがあった時にはそこに泊まったのだが、今はロッジが無くなったのでコースの提携ホテルだ。
日曜日は朝からいつもの知り合いのメンバーと回るか、競技の時にはBクラスで参加して楽しむ。

もうそんな生活を25年以上。
酷暑の日でも厳冬の日でも欠かさず通っているので、知人達がみんな呆れているのは知っている。
...幸せだと思う。
6年前に亡くなった夫が事業を成功させて、生活の心配は全く無い状況にしてくれた。
毎週ゴルフに行くくらいじゃ、経済的には何の影響もない。
問題はむしろ自分の体力だが、毎週ゴルフをプレーして来たためか、片道70キロの運転も1ラウンドや2ラウンドのゴルフは全然平気だ。

本当はもっと近いコースに入ればいいんだろうけど、25年以上所属しているこのコースには仲の良い知り合いも多く、コース側も毎週必ず来る自分にいろいろと気を使ってくれているので、非常に居心地がいいのだ。
近くのコースに入ろうと思えば入れるが、また一から人間関係を築き上げるには、自分にはちょっと時間が足りないと思っている。

腕は良くて80台、叩けば100に届いてしまうのが最近ずっと変わらないが、誰もが自分とラウンドするのを喜んでくれるのが嬉しい。
これは、夫が「ゴルフを始める際に、3つの事だけ守れ」と言ってくれたことを、忘れないで守っているからだと思う。

「1・ボールに触らない。
2・速く打って、速く歩く。
3・言い訳しない。」
「これだけ守っていれば、あとは忘れていい。」と夫は言ってくれた。
そんなことを最初に言われたので、自分は嫌われずに今迄ゴルフを楽しんで来られた。
...幸せだったと思う。

夫と一緒にゴルフをしたのはほんの1年くらいで、あとは夫が買ってくれたこのコースに一人で来るようになった。
子供が出来なかった自分には、ゴルフをする時間は十分にあったし。
夫は仕事が忙しそうだったしほかに女が出来ているようだったけど、自分は毎週このコースに来てゴルフをすることが楽しかったから、あまり気にはならなかった。
自分は、確実にゴルフが上手くなることが幸せだったし、ゴルフ仲間がこのコースで増えて行くのも幸せだった。

夫が亡くなった時には悲しかったが、夫と付き合っていた女性の子供が夫の会社に入っていて、夫のあとを継いで会社経営に携わるということで、混乱も無く事態は落ち着いて過ぎて行った。
ほかの女性との間に出来たという子供が立派な男で、自分の生活に何も心配がないように気を使って(多分夫の要望もあったんだろう)遺産を整理してくれて、生活も毎週末ゴルフに行くことも変わらずに今日迄来ている。
...本当に、自分は幸せだと思う。

なによりも今のコースで居心地がいいのは、夫が最初に言ってくれた「ゴルフの3訓」を自分が守っているからだと思う。
知り合いはもう慣れたようだが、始めて一緒になる人は自分のプレーの速いのに必ず驚く。
どんなときでもノータッチ。
素振りを一回して、ボールをセットしたらすぐに打つ。
打って結果が良ければにっこり笑い、ミスだったらすぐにカートに走って次のショットの準備をする。
それだけでみんなは感心してくれる。
自分がそういうゴルファーになれたのが、幸せだと思う。

70キロを走る運転も自分は好きだ。
都会から田舎への風景の変化は、何回来ても毎回違う感動がある。
行く道では、これからのゴルフを想像し、期待し、夢を見る。
帰り道では、反省し、後悔し、次回のゴルフを考え、人生を考える。

そして、やっぱり、自分は幸せだと確認する。

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Mさんは、スラッガーだった。
プロにも目を付けられていた程のホームランバッター。
内角球はもとより、外角に外れる球迄無理矢理引っ張ってレフトフェンスを越える、典型的プルヒッター。
ただ、つぼにはまるととてつもないホームランを打つが、三振も多い荒っぽさがプロへの道を阻んだ。
左にしか打てないバッター...ある程度のレベル迄来ると、いいピッチャーには簡単に料理されるバッター...20代半ばでプロの道は諦めた。

それからしばらくの時間スポーツをすることはなかったが、30を越えてゴルフをする機会があり...たちまちのめり込んだ。
180センチを軽く越える身体と、野球で鍛えた体力がまだ十分残っていて、当たれば三百ヤードショットとなった。
同伴競技者が腰を向かす程驚くのが快感となり、練習にも身が入ってすぐに上達して行った。
2年でシングルになった。
...しかし、そこで壁に当たった。
ハンデ9にはなった...しかし、常に70台のスコアが出ない。

原因はドライバーだった。
野球のバッティングでは、身体は足首の回転から始まり、膝、腰、肩、手の順で回転して行く。
肩を回転させておいて、最後にバットを手首で強烈に返して行くのが、プルヒッターだった彼の身体が覚えた野球の「スイング」だった。
ゴルフでもその身体に染み付いた動きの癖は抜けなかった。
どう練習しても(意識的なハーフショット以外は)、肩が早めに開いてそれから手が強烈にクラブを振りに行く。
タイミングが合えば三百ヤードを軽く越えるけれど、少しでもタイミングが狂うと右左に強烈に曲がる。
...悩んだ。
無理矢理肩を開かないように意識してスイングすると、250ヤードも飛ばない上に、引っかけが出る。
少しでも振りに行くと、悪い癖が出てボールが暴れる。

本も読んだし、レッスンプロにも相談した。
三年、努力を重ねた後、諦めた。
Mさんは、それ迄使っていたクラブをみんな捨てた。

...そして、左用のクラブを買った。

「自分の運動能力なら、絶対に3年で上手くなる。」
「悪い癖のついていない左でのスイングなら、右で壁に当たったハンデより上手くなれる。」
そう考えて、グリップから作り直す事にしたのだ。
はじめはボールに擦りもしない空振りからだったけど、身体の動きは新鮮だった。
今は1年目が終わる所...90前後のスコアで回れるようになった。
まだ右の時程の飛距離は出ていないが、右の時よりずっと曲がりの少ないボールが打てている。

面白い。
ゴルフは本当に面白い。
こんなに新鮮な気持ちで挑戦しているのは、中学で野球を始めたとき以来。
もう40になるのに、今は少年の時のように練習して自分のものになる「全て」に、興奮がなくなることはない。
光は見えている...より明るい光のもとへ、崖を登るMさんの気持ちはへこたれることはない。


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Nさんは、長く付き合って来た男と別れようとしている。
特に決定的な事件があった訳ではないが、10年以上付き合って来た男に物足りなさが増して来た結果、出て来た「気分」だ。

男は特にハンサムでもなく、特に稼ぎがいい訳でもなく、特に感性を刺激する訳でもなく、特に好きな訳でもない。
10年以上付き合って来たのは、特に悪い所がある訳でもなく、特に鈍感である訳でもなく、結局特に嫌いな部分がなかったからだろう...積極的に出はなく消極的に「別に嫌いではない」という理由が大きかったような気がする。

Nさんの今の生活は、仕事はある程度責任ある立場を任されてそれなりに充実しているし、飲んだり喋ったりする仲間もいる。
趣味の方では、男と付き合い出してから誘われて始めたゴルフが気に入って、月に2回はラウンドして楽しんでいる...というより、最近はその2回のラウンドが面白くて、結構仕事以外の時間はゴルフに気持ちが行っている、と自覚している。
取り立てて目立つことのない相手の男に、唯一ほかの男達より優れているとNさんが感じているのが、そのゴルフ。
若い頃の一時期熱中したと言う彼のゴルフは、時々曲がって大叩きすることはあるが、総じてスピーディーで気持ちがいい。
殆ど素振りもせずに淡々と、当たり前にあるがままにプレーして行く彼のゴルフは、彼のほかのどんな時よりも格好いい、とは思う。

...しかし、何とははっきり言えない物足りなさが消えることはないので、最近のNさんは「もう潮時かな..」なんて考えていることが多い。
そろそろ彼と、その辺のことをはっきりさせようと、いつそれを言い出そうか考えている時に...男がNさんに言った。
「これ、君へのプレゼント」
「いつまでたってもグリーン周りのアプローチが上手くならないから、今度からこれを使えばいい」
「これはチッパーって言って、グリーン周りからパターのように打つだけでいい」

まるでパターにロフトがついたような形をした、きれいなクラブだった。
(別れ話をしようとしたのを、薄々感じたのかしら)

次の仲間とのゴルフの時に、その「チッパー」とやらを使ってみた。

寄る...嘘みたいにピンに寄る。

今迄はあいつが言ったみたいに、ショットは大分良くなって来たのにグリーン周りが苦手だった。
パターを使えば大ショート、ウェッジを使えばザックリ、アイアンを使えば大オーバーと、何をしてもダメな状態だった。
それがこのチッパーとやらは、パターのように振るだけでポンとボールが上がり、グリーンに乗って転がってピンによって行く。

「くそ! いいじゃない、こいつ...」
これじゃあ、このチッパーが役に立つ限り、あいつに別れ話をしづらくなる...

「愛のチッパー、君の役に立っただろ?」

そう言うあいつの顔が、目に浮かぶ。

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Mさんのゴルフ歴は、ほぼ40年になる。

その40年の間に、ドライバーやアイアン、ウェッジなどは数えきれないくらい買い替えて来た。
しかし、Mさんはパターだけは一度も変えずに同じものを使い続けている。
そのパターは、当時ゴルフに熱中していた叔父からプレゼントされた、ピンアンサーのカースティンCo。
特に高価で珍しいものではないが、安物でもないと言われたものだった。

40年の間、それなりにゴルフに熱中して、時間も金も使って来たけれど、Mさんの腕はそれほど上がった訳ではなかった。
もう20年近く前にクラブハンデが10になってから、ずっとそのまま。
もっとも、あまり下がることのないクラブハンデだから10だけど、近頃のスコアをJGAハンデで計算したら17ー18くらいになっているはずだ。
腕が上がらなかった原因は、パワー不足....身長が170センチに届かないMさんは、飛距離が絶対的に足りない、と思っている。
いろいろと身体を鍛えようとした時期もあったが、それで飛距離が延びることはなかった。
ドライバーで180ヤード程...殆どのホールでパーオンすることはない。

しかし、Mさんがゴルフの情熱を燃やし続け、またMさんのゴルフがそれなりに周りに認められているのは、グリーンに乗ってからが凄かったからだ。
ワンピンならほぼ100パーセント入れる。
10メートルでも、半分は入れる。

Mさん自身、ゴルフを始めたときからパットは得意だった。
叔父から貰ったピンアンサーは、まだビギナーのときから自分の願いを良く聞いてくれた。
まるで、自分の手で打つように、ボールをカップに向けて転がしてくれる。
ピンアンサーを持って、腰を低くしてラインを読むと、ラインが決まるとピンアンサーが「よし、それでいい」と答えてくれるのだ。
そうして気持ち良く意見が一致したパットは、自分が打ち損じない限り、まず入る。
はじめは「まぐれだ」と言っていた仲間も、今ではMさんの神懸かり的なパットの上手さだけは認めている。
残念なのは、そうしたパットが殆ど「パーパットやボギーパット」であるということ。
Mさんだって、「パーオンしていればバーディーや、もっと飛んでいればイーグルだって沢山とれただろうに..」とは思うんだけれど、そう上手くは行かないのがゴルフなんだろう。

パターは、何度か最新の人気モデルを借りて使ってみたけれど、どれを使ってもピンアンサーのように読んだ道に答えてくれるものはなかった。
...Mさんは残りのゴルフ人生も、この1本のピンアンサーと共に過ごすと決めている。

ただちょっと心配なのは、最近老眼と乱視が酷くなって、ボールとカップの関係が良く判らなくなって来ていること。
だから、「このラインだろう」と思ってピンアンサーを構えても、ピンアンサーが「その道じゃあない」と納得していないような気がすることが多くなった。
そんな時はまずカップインできない。
ピンアンサーのためにも、老眼と乱視を矯正するゴルフ眼鏡が必要と考えている今日この頃だ。

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Kさんの所属するサークルの、ベテランの会員Tさんがサークルをやめることになった。
穏やかで優しい人で、サークルの中では若い方でスコアも悪いKさんにとっては、頼れる先輩でもあったし気の合う仲間でもあった。
Tさんのゴルフはいつも100前後と特別良い方ではなかったが、楽しそうなプレー態度と正確なルールやマナーの知識で、Kさんはゴルファーとして尊敬していた。

二月に一度のサークルのコンペには必ず参加して、コンペのない月には旦那さんといろいろなコースをプレーしていたと言う。
Tさんの旦那さんはそれなりに上手い人で、ゴルフのマナーとルールは旦那さんに教わったと言っていた。
クラブは十年くらい前に、旦那さんの退職金で買い揃えたというウッドセットとアイアンセットをずっと使っていた。

そのTさんの旦那さんが、昨年亡くなった。
それ以来、サークルの練習にもコンペにもTさんは来なくなった。

半年程過ぎたある日、Kさんの所にTさんが訪ねて来た。
今の家を売り払って、関西にいる息子夫婦の家の近くにアパートを借りて住むことになったと。
元々関西出身で、夫の転勤で東京に来て、そのまま家を買って長く住んで来たが、夫が亡くなった後子供達が一人暮らしを心配していて、いろいろと話し合ったの結果そう決めたとのこと。
長男夫婦の家の近くというのも、共稼ぎのため子供の育児を手伝って欲しいと頼まれたことが一番の理由で、しばらくは育児で忙しくなるらしい。

「それで、長くサークルでゴルフを楽しませてもらったので、サークルの人に挨拶しておこうと思って..」
「中でもあなたには親しくしてもらっていたので、何かお礼をって思ったんだけど...」
「こんなものしか思い当たらなかったの..」

両手で手渡してくれたのは、小さな小物と小さな箱と小さな缶。
「私のゴルフ道具はどれも十年以上前のもので古いし、若いあなたには合わないしで...」

小さな箱は今評判の女性用ボール1スリーブ。
「これ高いボールだったので、いつかちゃんとしたコンペの時に使おうと持っていたんだけれど。」

小さな缶の中には、カラフルなティーが一杯入っている。
「ちょっと前にあんまり色が奇麗だから買っておいたんだけど、使わなかったから。」

小さな小物は、奇麗な色に光り輝くクリップマーカーが一つ。
「このガラスのはスワロフスキーので、あたしの一番のお気に入りだったの。」
「私の大事なお気に入りだったから、是非あなたに使ってほしいと思って...」

「うちの主人が死んでからいろいろ考えて、ゴルフはもう卒業することにしたのよ。」
「これからは年金と貯金で暮らして行かなくちゃならないし、孫の育児の手伝いで忙しくてゴルフをやる余裕はもう無くなるから。」

もう古いクラブは中古屋に売って処分して(数千円にしかならなかったそうだ)、キャディーバッグも燃えないゴミで出してしまった、と。

「今迄とっても楽しかったわ」
「私のゴルフは主人と一緒に終わったのね。」
「捨てられなかった小物をあなたに貰って頂ければ、私は思い残すこと無く関西に行けるわ。」

「どうもありがとう。 あなたと一緒に遊んだゴルフは本当に楽しかったわ。」

...ボールとティーとクリップマーカーと。

小さなスワロフスキーのクリップマーカーは、まるでダイヤモンドのように輝いている。

Kさんは、次のゴルフの時からずっとこのマーカーを使い続ける、と確信している。

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田舎暮らしの鉄人、ホームページ「田舎暮らし狂想曲」で知られていた金子数栄氏は、2011年5月10日に癌で亡くなった事が一月程経ってから息子さんによって公表された。
その少し前、長崎の信頼出来る方からその情報を頂いていたが、詳しいことは何も判らなかった。


金子氏とは、彼が週刊ゴルフダイジェストのデスクをやっていた頃に、仕事の依頼を受ける形で知り合った。
間もなく彼は週刊ゴルフダイジェストの編集長になり、編集部に行く度ゴルフの話で盛り上がった。

その金子氏が劇的に動いたのは、50歳を過ぎた頃。
ゴルフダイジェスト社を退社して九州の田舎に移り住んだ、と風の噂に聞いた。
トライアスロンに参加しながら、自給自足の生活をしている...と。
それほど親しい付き合いではなかった自分は、「凄い思い切ったことをする人だ」という感想を持つだけで、遠い他人事だった。

それが、彼に親しい人に近況を知らされるに連れて、ぜひ一度訪ねてみたいという思いが強まり、2001年10月に夫婦で彼の家を訪ねて行った。
嬉しいことに、我々夫婦のことを非常に歓迎して頂き、夜遅く迄飲みかつ語り合う時間が過ごせた。
夜満点の星の下の(自家製)露天風呂に入り、翌日には漁に連れて行ってもらったり...

それから10年。
雲丹を注文したり、みかんを注文したりという付き合いはあったが、貧乏イラストレーターに九州長崎は遠く、金も時間も自由にならない中、ついつい十年の時間を空けてしまった。
それには、なにより金子さんが健康であったこと、毎日のトレーニングを欠かさず、メタボ体型とは無縁のスタイルのカッコいい人だったから、まだまだ時間は充分にあると思っていたことが理由としてあった...まだまだ、いつでも行けば元気でいてくれる、と。

何度か、テレビの「人生の楽園」という番組や、同じようなテーマの番組で取り上げられた、ある意味有名人であった。
誰でもが憧れるような、海の見える素晴らしいロケーションの場所に住み、百姓、漁師、エッセイスト、音楽家、木工家...等々、なんにでも興味を持ち、楽しんでいる人でもあった。
唯一、長くやっていたゴルフは封印していた。
「ゴルフは金がかかるんだよ」
「一応百姓や漁師で自給自足は出来るけれどね、現金収入は少ないのでゴルフをプレーする金はないんだよ」
ゴルフを一回プレー出来る金があれば、ちょっと旅行に行く方を選ぶ、と。

最近になって、年金をもらえるようになったからボチボチゴルフも再開する、なんて事も伝え聞いてはいたけれど...

69歳...早すぎる。
が、癌ということで全て覚悟しての旅立ちだったと聞く。

東京の都会の生活から、海の見える家の自給自足の生活へ...「人生の楽園」の生活を、自分で築き上げた金子さん。
いい人生だったんでしょうね。
お会いした時間は楽しかった、感謝します。

さようなら。

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Hさんは40歳前に夫に勧められてゴルフを始めた。
練習場で教室に入り、一からゴルフを教わり出してもう10年になる。

ゴルフの面白さにだんだんはまり込み、「今の生活の中心は月一回のゴルフ」と言うくらい、ゴルフを楽しんでいる。
しかし、スコアは100を切るか切らないかという所から抜け出せないでいる...と言うより、よっぽど調子が良くなくては100を切れない。
年に2回くらい100を切れれば、それなりに満足というレベル。
でも、ゴルフを始め、ゴルフを楽しみ続ける事によって、自分の世界が広がり友達が増えた事がなにより嬉しいと思っている。

そんな時に、いつも思い出す人がいる。
4年前に町内会の会合で知り合ったNさんの事。
5歳年下で、明るくさっぱりとした女性で、礼儀も正しく、初対面ですっかり意気投合してしまった。
旦那さんが少し身体が弱いとかで、ずっとパートをしながら子育てをしていたという。
でも、最近子供の手がかからなくなったから、自分の楽しみに何かをしたいという...そこでHさんはゴルフを勧めてみた。
「でも、ゴルフってお金ががかかりそうだから..」としぶるNさんを、「大丈夫、道具は私の使ったお古でよかったら、あげるから」と、強引にゴルフに引き込んだ。
Nさんは、キャディーバッグからドライバー、アイアン、パター迄、Hさんの以前使っていた道具を「借りる」という事にして使わせてもらう事になった。
あとは安いボールと安いシューズを買って、とりあえずはHさんと一緒に練習場に行った。
Hさんは、練習場で自分がレッスンプロに教わった通りにNさんに基本を教えた。
しかし、グリップだけは「どうしても違和感がある」ということで、ベースボールグリップになってしまったけれど。
...驚いた事に、Hさんに一通り教わっただけでNさんはボールを打てた。
1回も空振りせずに、はじめこそフェースのあちこちに当たってボールはばらついていたが、やがてビシビシと良いボールが飛ぶようになった。
わずか100球を打つうちに、Hさん自身が自分のクラブで打った事もない距離を打てるようになって行く。
「楽しい! 面白いですねえ!」と、嬉しそうにこちらを振り向く。
Nさんは、自分の驚いている顔を見て、「何か、おかしいですか?」「いいえ、驚いているだけ」...

試しに、三日後に行く事になっていた近くの河川敷ゴルフ場に、一人空きがあったので誘ってみた。
遠慮してはいたが、面白さに惹かれたらしく「邪魔にならないようにしますから、お願いします。」
細かいルールやマナーは、自分で勉強しておくようにと教本を渡して、突然のコースデビュー...
心配よりも、あれほどすぐに打てるようになった人を知らなかった「興味津々」「半信半疑」なんてものと、嫉妬が絡んだ悪戯心もあっただろうと、Hさんは思っている。
しかしNさんは、最初の数ホールこそ慣れずに戸惑っていたが、初心者らしいミスをすると「すくいあげちゃダメよ」とか「頭を動かさないで」とか「バンカーはボールの下の砂を打つの」とかいうアドバイスを素直に「はいっ!」と聞く...すると、それをやってしまう。
前の組のシングルらしい男性のスイングが奇麗だと言うと、じっとその男性のスイングを見ていて、見よう見まねでその男性のスイングに近いスイングをやってしまう。
最初の方で乱れていたので、結局スコアは121だったけど、最後の方ではパー迄とった。

一ヶ月後の2度目のラウンド,,.その間に2回程練習に行ったと言うが、なんと88で回った。

驚いたのを通り過ぎて呆れてしまったが、彼女の明るく喜ぶ姿を見て「天才っているんだ...」なんて、Hさんはもう嫉妬心が起きる事もなかった。

しかし「彼女はこれからどこ迄行くんだろう」、なんていう時に、彼女の身体が弱いという旦那さんが寝たきりになってしまった、と聞いた。

少し経って、Nさんが「お借りしていた道具をお返しに来ました」と家にやって来た。
「楽しかったし、続けたかったんですが、自分が働かなくてはならないのでゴルフをする時間もお金もなくなりますので」
「楽しかったです」
「どうもありがとうございました」

それから、同じ町内でもNさんに会う事は殆ど無くなった。

自分は相変わらず、月一のゴルフを楽しんでいる...スコアはやっぱり100をなかなか切れないで。
Nさんがもしゴルフを続けていたら、今頃は一体どんなスコアで回っていたんだろう。

...年を取る程に、世の中には「いろんな所に恵まれない天才がいるのかもしれないなあ」、なんて感傷に耽る時間が多くなった。


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そのオープンコンペで一緒の組になった人は、もうすぐ80歳というベテランゴルファーだった。
「私は60歳で退職してから、ずっと働いたことはありません。」
「今は少なくなりましたが、平均年間100ラウンドしてました。」
「関東地方のゴルフコースの9割は回りました。」
「イギリスやアメリカの有名なコースも、大体回りました。」

食堂での会話でも、日本のプロゴルフ界の実情やら、アメリカの最新のギアの情報やら、ゴルフスイングの練習方法やら練習道具やらに実に詳しい。
ファッションも今流行のものを上手く取り入れていて、実にカッコいい。

立ち居振る舞いには、いかにも会社員時代は偉かった人のような余裕と威厳を感じさせる。
キャディー付きのプレーだったが、クラブの受け渡しやちょっとした会話も洒落た感じを見せて、優雅なジェントルマンという風情。
ゴルフの歴史などの知識も、それなりに勉強しているようにも見えた。


...それなのに...
「キャディーさん、6インチありだよね?」
ボールのある場所にたどり着くと、いきなりしゃがみ込んでボールを掴む。
一見してどんなにいいライにあるように見えても、「全部」座り込んでボールをつかみあげて、芝の上にティーアップされたようにそーっと置く。

背筋を伸ばしてキリッとした、いかにも洒落た老紳士が、いきなり「うxこ座り」してボールをつかみあげ、そのままそーっと細心の注意を払ってボールを芝の上にいじましく置く...
その姿は、それ迄の威厳やかっこよさを全部トイレに落とし込んで流してしまったように、貧相で情けなく...

ほかの同伴競技者もボールに触らない人だったので、お互い顔を見合わせて「あ〜あ」と言う顔をして、視線をそらして彼を見ないようにする。

もちろん、ローカルルールで許されているんだからペナルティーではない。
でも、彼の経験や蘊蓄豊かなゴルフの話は、平気でボールにさわれる神経と一致しない。
普通は、ゴルフが好きでそれなりに深くゴルフに接している人程、プレー中にボールに触ることを嫌悪する。
それは、ゴルフと言うゲームの大原則が「 Play the ball as it lies 」 という、ボビー・ジョーンズの言葉に表されているからだ。 

その言葉(日本では「あるがままでプレーせよ」)と言うのはゴルフと言うゲームの基本中の基本であり、だからゴルフは「ライのゲーム」ともいわれている訳だから。
ゴルフというゲームは、ティーショットを打ってからグリーンに乗せる迄、決して手でボールに振れてはいけないのだ。
(もちろん、アンプレヤブルやボール確認のため、などのいくつかの例外はあるけれど)
だから、ボールに触って常にライを変えてプレーしているって事は、彼等のやっている遊びは「ゴルフに似ているけど、決してゴルフではない」代物なのだ。
言わばただの「ゴルフみたいなもの」としか言えない。
こんな偽の遊びをやっているものに、ゴルフの蘊蓄も歴史も語る資格は全く無い。

ゴルフにそれなりの時間とお金と情熱をかけて生きて来て、その結果平気でボールを触るゴルファーになるというのは...じつに「もったいない」。
彼がボールに触る度に、彼を見る目が「残念な人」という風になってしまうのが「もったいない」。
自分より遥かに年上でゴルフ経験の長い人...これ迄数十年そうして「ゴルフみたいな物」をゴルフだとして楽しんで来た人に、何も言うべき言葉は持ってないけれど...ただ感じるのは「もったいない」だった。

彼が平気で、あるがままのボールを打つ人だったら、どんなにカッコいいと思えたか。
全てのボールに触って、芝の上に時間をかけて慎重に置いた所で、どれほどショットが違うのか...スコアが良くなるのか、差はないだろうとしか思えない良い状態のフェアウェイで、触るたびに彼の姿がみすぼらしく思えてくる...なんて「もったいない」ことだろう。

なにより「6インチあり?」と聞いて、「6インチプレースありです」というキャディーに「おお、良かった」という気持ちが「もったいない」。


(ただ、どんないい状態のフェアウェイでも「6インチプレースあり」というゴルフ場にも問題がある)...これは後ほど。


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もう何年も前に30歳を過ぎた。
同い年の友人達は、とっくに結婚して子供が幼稚園やら小学校やらに入るというグループと、仕事が面白くて結婚なんか考えもしない、なんてグループの二つに別れている。

自分はと言えば、別に面白い仕事ではないけれど安定した職場でもう10年勤めている。
給料も悪くないし、少ないけれどもボーナスもきちんと出るから、一人暮らしのマンション住まいで別に不満はない。
「結婚しない」と決めた訳ではなく、どちらかと言えば結婚して子供を作って...幸せな家庭を作るという方が自分の望みなんだけど。
独身でいるのは、結果として仕事関係で気持ちが動くような男性に出会えなかった、というだけの話。

今は4年前に上司に勧められて始めたゴルフにハマっている。
ゴルフなんてものは全然関係ない世界の話、と思っていたんだけれど、やってみたら面白かった。
はじめは上司に教わっていたんだけれど、仕事とプライベートが一緒になるのが嫌で、通勤の途中にある練習場のスクールに入って毎週1回のレッスンを受けている。
ただ、練習場の関係でのラウンドは年に4回しかなく、他にラウンドする機会を作ろうとすると、上司に誘われる時しかないのが不満だった。
職場の関係だけでなく、個人的な関係迄絡まって来るようで気が重かったし。

そんな時に雑誌で見た「オープンコンペ」に興味を持った。
「レディース向け」とか、「お一人の参加歓迎」なんて言葉が自分を誘っているようだった。
一大決心で参加してみると、面白かった。
それをきっかけに、平日開催の普通のオープンコンペに、有給を使って月に2回は出るようになった。
...そんな普通のオープンコンペに参加しはじめの時に、出会ったのだ。

まだ、ベストスコアが100を切る前で、オープンコンペにも慣れていず、緊張と興奮でバタバタだった。
同じ組になった、全身真っ白...白いサンバイザーに、白いシャツ、白い短パン、白い靴下、白いシューズの青年が、いろいろと気を使ってくれた。
腕はシングルも5下というくらい上手く、白いウェアに真っ黒に日に焼けた肌、笑顔に浮かぶ白い歯の印象が強かった。
曲げたり、クラブを間違えたり、ボール探しだったりで、焦っている自分につきっきりで面倒を見てくれた。
お昼の食事のときや、パーティーの時にも隣にいて、いつも話しかけてくれていろいろ聞かれたんだけど、自分はその日の何もかも上手く行かなかったゴルフの事で頭が一杯で、ろくな返事をしなかったような気がする。
アドレスも聞かれたんだけれど、結局教え損なった。
彼は仕事が不規則なので、ゴルフをやれるのが平日に一人で急な参加が可能なオープンコンペしかないと言っていた。
「また、お会いしたいですね。」
そう言って別れた。
仕事は医者だとか。

それから、オープンコンペには沢山参加している。
彼の事は、時間が経つ程に好意が湧いてくる。
あの時はゴルフでパニクっていて、ろくな会話が出来なかったけれど...彼の態度や言ってくれた事、してくれた事が、実に優しく気の利いたものだったという事に後から気がついた。
「また逢いたい。」と思い続けて、いろいろなオープンコンペに参加しているけれど、あれから見かける事もない。

...オープンコンペで一緒になるのは、60前後の元気なオジサンやオジイサンばかりで、彼ぐらいの年齢の男とは、全然同じ組になれない。
その元気なオジサン達に、いろいろと口説かれるのも気が重い。

こんな気持ちでオープンコンペに参加しているのは、私の「婚活」なのかしら。
最近、なんだかそう思う。

正直、彼の顔も忘れかけてきて、残るのは日に焼けた黒い顔に光る「白い歯」の印象だけなんだけど...

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来月の末に、ゴルフをすることになった。
15年ぶりか、20年ぶりか...良く覚えていない。
道具の一切は、高校時代からの親友に借りることになっている。

一時は熱心にゴルフをやっていた。
というより、仕事もそっちのけで熱中していた。
会員権も3枚も持っていた。

父親から譲り受けた会社は、従業員は12人程だったが安定した業績を上げていた。
父親の築き上げた信用と職人達の確かな腕で、経営は父親の代から働いている専務に任せておけば、問題なかった。
28で可愛い奥さんと結婚して、男の子と女の子と、、それほど大きくはないが小奇麗な家と、一応ベンツを乗り回せる収入と...
ゴルフの腕もシングルの7迄行って、こっそりつきあっている女性もいて...
人生とはこんなもの、これが普通にずっと続くと思っていた。

状況が変わったのは、仕事の8割を占めていた会社の倒産。
その会社もまた、親会社の倒産のあおりを受けての倒産だったが、いきなりピンチに立たされた。
専務に、もう会社の資金繰りがどうにもならないことを知らされた。
学生時代の知り合いに弁護士を紹介してもらい、善後策を相談した。

まずやったことは、離婚。
出来る限りの資産を上手く分けて、妻と子供が他人になることを決める。
専務を始めとした父の代からの職人達に、金をかき集めて分けた。
もちろん退職金にもならないことを謝りながらだったが、皆事情は理解してくれた。

そして、残った自分に出来たのは、自己破産しての「夜逃げ」だった。

とても払いきれない負債を、法律的になしにしてしまい、自分は身一つで行方をくらますしかなかった。
本当は、なんとか300万円程を残しておいて生活費の足しにしようと思っていたが、自己破産の手続きやら弁護士費用でそのほとんどの金が無くなり、結局ホームレスとして逃げるしか無くなった。

それから今迄...良く生きて来られたと思う。
年に一度、娘や息子と連絡を取る以外、隠れ続ける生活をして来た。
今年、連絡をした時に「元」妻に言われた「高校のクラス会の葉書が来ているわよ。」
その久しぶりに東京に戻って来たクラス会で、親友に言われた。
「もういいんじゃないか?」

借金を踏み倒した相手に顔向け出来ないのは変わりないけど、東京の家族の住む近くで、親友達とゴルフをする...「もういいか」、そんな気になった。
昔の、華やかで浮ついて見栄ばっかりで...実は何も感じていなかった眩しいようなゴルフにまつわる世界と、今の思い出したくもない10数年を経ての、遥かに現実から遠かったゴルフの世界。
流されて行く世界から、なんとか立ち直る切っ掛けになる様な気がした。

...自分がどんなゴルフをするのか、スタートホールで何を感じるのか、現実感が無くてなんだか他人事のように考えているのが不思議だ。
ただ、その日が近づくにつれて、「もし、第一打をナイスショット出来たら、もう一度家族と生活を作り直すことが出来るんじゃないか」なんて考えが強くなって来ている。

もし、ティーショットが奇麗に空を飛んだら、この10数年のことを「昔、昔、ある男が...」とおとぎ話に出来るような気がするのだ。

Once upon a time ...


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